[零戦里帰りプロジェクト]動画・零戦22型 鹿屋基地着陸 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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零戦22型 鹿屋基地着陸  
https://youtu.be/zq6hSzEF__w


2016/01/26 に公開


【関連】

■元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声
2016.1.27 産経新聞

 翼よこれが故国の地だ-。零式艦上戦闘機(零戦)がテスト飛行した27日、零戦が飛び立った海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の周辺には、雄姿を一目見ようと、大勢の見物客が訪れた。福岡市在住の元零戦パイロットは、基地を訪れることはできなかったが、「元搭乗員の友人と、零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った」と語った。(奥原慎平)

 午後2時、零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。操縦席には米国人パイロット、スキップ・ホルム氏(72)が乗り込む。機体は滑走路を滑らかに加速し、鹿児島の空に飛び立った。滑走路近くのフェンスに集まった、100人近い見物人から歓声が上がった。

 2回目の飛行では最高で、高度約1650メートルに達した。

 この日飛行した零戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55)が所有する。石塚氏は、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入した後、日本国内での飛行を目指して、資金集めや、関係省庁との交渉を進めた。

 当初、戦後70年である昨年の実現を目指したが、安全保障関連法案の審議をめぐり、「戦争賛美の誤解を受けかねない」と複数のスポンサーが撤退し、関係省庁も消極姿勢だった。

 石塚氏はようやく飛んだ零戦を見上げ「感無量だ。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい」と語った。

 スポンサーの1人で、埼玉県在住の陸上自衛隊OB、和泉洋一郎氏(66)は「世紀の瞬間に立ち会えた。零戦は日本人の技術力が詰まったものであり、日本人が所有する零戦が飛ぶ姿をみると、感動しきりです」と涙ながらに語った。冠婚葬祭業、サンセルモ(東京)の安田幸史社長は「この感動を多くの人と分かち合いたい。飛行を一般公開してほしい」と述べた。

 福岡市南区に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は残念ながら鹿屋に赴くことはできなかった。それでも、零戦が旧海軍ゆかりの鹿屋を飛ぶという話を、搭乗員仲間と電話で語り合ったという。池田氏は産経新聞の取材に「零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。零戦の技術力も知ってほしいが、あの戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。いつか日本人が操縦し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」と語った。

⇒  本文

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引用 零戦里帰りプロジェクト

500km/hを超える最高速度と高い運動性能

ソロモン海戦中に追撃されたものとみられる機体が、1970年代にパプアニューギニアで発見されました。純国産の優秀な飛行機でした。当時の設計図を元にA6-M3のゼロ戦22型と同じ仕様に仕上げた機体で、修繕の際にはサイズなどの違いでロシア(旧ソ連)のメンテナンスチームも作業に加わり38万時間という作業時間を費やして飛行可能な状態にしました。エンジンはオリジナルの栄エンジンは修理できる状態ではなかったので保管され、PRATT&Whitney社製のエンジンを搭載しています。

修理を終えて1999年には映画「パールハーバー」の撮影で飛行し以降、米国のイベントや雑誌の撮影メンテナンスの為に飛行しています。3000km飛行可能と言われております。



世界で4機しかない存在しないゼロ戦※レプリカを除く


 


1970年代にパプアニューギニアで発見された後、1980年代にはサンタモニカ博物館へ収蔵されていました。1990年代初頭にはカルフォルニア、ロシアにてレストアが開始され3000km飛べる様になりました。今現在はアラスカ州アンカレッジに保管され整備されています。

軽量化による高い余剰馬力のため500km/hを超える最高速度と高い運動性能、長大な航続距離などが優れていた。特に軽量化はボルトやネジに至るまで細部にわたり徹底化された。



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零戦二二型(A6M3)wikipedia



ソロモン諸島上空を編隊飛行で飛ぶ零戦二二型


二二型は航続距離短縮という三二型の欠点を補うために急遽開発・生産された型で、1942年末から三菱のみで生産された。エンジンや胴体部分の基本設計は三二型と同一だが、翼内燃料タンク容量の増量による重量増加に対応するため、主翼を二一型と同じ翼幅に戻し、翼端折り畳み機構も復活した結果、急降下制限速度は低下している。中盤以降のソロモン諸島の戦いに投入されたが、その頃にはソロモン諸島に前進基地が設置されており、折角回復した航続距離も意義が薄れていた。武装強化型の二二型甲を含めた生産機数は560機だった。

零戦二二型甲(A6M3a)

二二型甲は20mm機銃を九九式二号三型に換装した型で、1943年の春頃から五二型の生産が始まる1943年8月まで生産された。以後に開発された型式の零戦には九九式二号銃が搭載されている。なお二二型及び二二型甲は、三二型では翼端短縮で対応していた横転時の操舵力軽減を下川事件の影響で二一型初期型以降廃止されていた補助翼バランスタブを復活させることによって対応している。

解説
English: A Mitsubishi A6M3 Model 22 over the Solomon Islands, 1943.
日本語: ソロモン諸島上空を飛行する、第251海軍航空隊所属の零式艦上戦闘機22型の編隊。"UI-105号機は西沢広義機"とする文献もあるが、撮影者の吉田一によると「誰の搭乗機だったか記憶にない」との事。
 
日付 1943年
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【追加】2016.1.28

零戦、日本の空を飛ぶ 鹿児島・海自基地で試験飛行
https://youtu.be/8JKMiCs7RCs



2016/01/27 に公開
さきの大戦中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(零戦)が27日、海上自衛­隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を試験飛行した。(機内からの映像はニコニコ­生放送提供)