■飛行艇の歴史 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。



飛行艇US-2 ~父島~
http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventrypreview.do#




辛坊氏を救出した海自飛行艇のスゴさ 水陸両用の「US-2」
013.06.22 (zakzak)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130622/dms1306221455007-n1.htm


動画は、タレントの辛坊氏を救助した海上自衛隊の救難飛行艇US-2です。

水陸両用で、スロープがあれば海から陸地に自力で揚れます。

パイロットは船舶免許を所持しているそうです。

戦前、戦中に飛行艇を作っていたメーカー川西が現在の新明和工業です。


 

(環太平洋航空路)


 

(民間の97式大型飛行艇)

 
戦前は信託統治のサイパン島など、太平洋の島々に97式大型飛行艇が飛んでいました。(環太平洋航空路)

長距離飛行が可能で、飛行場がない島への連絡便として重宝していたと言います。

横浜に民間の基地がありました。




 

(上は輸送機型の海軍二式大型飛行艇、下は民間機用の客室で軍用機には無い)


輸送機用の海軍二式大型飛行艇も、戦いが熾烈に成ると長大な航続距離を誘導機として、特攻隊の銀河(双発爆撃機) の先導任務に就きました。
米軍用艦の巨大な基地である泊地(ウルシー環礁)特攻攻撃です。



波高約4メートル、航続距離4500Kmの長距離運用ができる日本しかない救難大型飛行艇US-2の歴史には波乱がありました。

防衛産業なので、マスコミに何度も叩かれました。



飛行艇US-2 は、基地に帰ると、直ちに機体を丸ごと塩分抜きの水洗いします。
手抜かり無くです。

命拾いした辛坊氏には、お礼奉公として、”手洗い”で飛行艇を綺麗にしてもらいたいものです。