みんなの事は知らないが、俺はこう思う。 -6ページ目

みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。

 先日、アメブロで「ヤマザキ製パンのシールが集まり難くなって困って居る」旨の投稿を拝見した。

 昨年迄定番だったパンがなくなって居る。景品がフランス製の御皿である、フランス製のパン種を使って居る、其れに加えて円高だ。

 何故、ヤマザキ製パンは「フランス製」にこうも拘泥するのだろうか?見栄えが良い、何となく格好いい、色々な内部事情があるのだろう。

 然し、御皿もパン種も日本製にし、変な拘泥を捨てれば、僅かでも日本に雇用を創出出来て、正社員雇用すれば日本社会に貢献出来るのではないか?又、僅かでも日本産小麦粉を使えば、食品添加物を減らせば、「日本人の生活の質の向上」に役立つのではないだろうか?

「無駄」と思う時間が心身の再構築に役立って居るのだと私は思う。今の時代、「効率重視」「効率最優先」で職場の人達と「無駄」話をする様な「相互理解」の時間さえ削られる。

職場の人達が互いを深く知る事なく仕事をしても、「相互理解」に基づく本当の意味での「深い仕事」に成らないのではないか。社内でも、社外折衝でも。


 

 

   私が長く使って居る物、其れは鉛筆だ。削り方次第で芯の長さ、太さが調節出来る、「鉛筆削り」がなくてもナイフが有れば芯を出せる、こんな便利な文房具は無いと思う。後ろに消しゴムが付いて居ると尚便利だ。

 だが、最近は大学受験のマークシートもシャープペンシルで良いと言う。

 私の手元には使いかけの鉛筆が未だ沢山ある。

 もう誰にも使われない儘捨てられるのかと思うと寂寞感、寂寥感が強い。

 

負けられない戦いはここにもある

 

   私の場合は、ブログの「いいね」数である。

 今迄、ブログを沢山書いて見る、一日一度でも「オリジナル」か「お題」に沿ったブログを書く、リブログする場合は必ずコメントを付ける様にして居るが、効果は今一つだ。

 ブログの「いいね」数を増やす講座もあるそうだが、鬱病で仕事が出来ない私には篦棒に高額に見える。故に受講出来ない。

 

 

 

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「認知の歪み」が17種もある事に吃驚した。私も私と両親の間で「認知の食い違い」があるので、何方ががカウンセリングを受けるべきかを争って居る。別居中の愚妻と豚児の間でも同様の事が起こって居る。

ところで私は鬱病のどん底の最悪状態で外出出来ない。「肩叩き」され乍らも働いている方々が羨ましい。


《どうしていつも苦しいんだろう?どうしていつも報われないんだろう?


よくよくこれを考えてみると、

 

常に、人の評価やお金等を気にする自分がいることに、気付きませんか?

 

そうです!

 

あなたが苦しいのは(=あなたが不幸なのは)、


あなた自身が、

幸せは、自分の外(人の評価やお金等)にあるものとして、


人の評価やお金等を得ることに、重きを置いてしまうからです!》


未来に投資せず、下請けをいじめ、学生を「就活」に追い込む大迷惑

教育、政治、行政に責任転嫁している

2024/04/15 9:00  PRESIDENT Online

著者: 西田亮介氏

日本大学危機管理学部教授/東京工業大学特任教授

1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。専門は社会学。著書に『メディアと自民党』(角川新書、2016年度社会情報学会優秀文献賞)、『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください 17歳からの民主主義とメディアの授業』(日本実業出版社)ほか多数。


「失われた30年」の責任はどこにあるのか。日本大学の西田亮介教授は「失われた30年は政治のせいというより、経済界の罪のほうが根深い。特に『経団連』に所属するような大企業は、コストカットをして内部留保を貯め込むだけで、未来に向けての投資をしないから生産性も向上しないし、イノベーションも起こらなかった」という――



目次

1.「失われた30年」は大企業のせい

2.日本経済凋落の元凶は大企業

3.新卒一括採用は有害でしかない

4.企業と個人への補助金の規模の違い

5.ケタが大きすぎて思考停止に陥っている

6.不満はあるが文句も言わない「政治への諦念」

7.「そこそこの暮らし」に満足してしまっている






冷静に「叱る」ことができるママと、どうしても「怒る」ママと、どこが違うかを考えると、子育ての「やり方」よりも「在り方」に違いを感じてしまいます。
「叱る」ことができるママは、子どもを一人の人間として尊重できているように思います。
子どもは、からだこそ小さいけど、大人と同じ人間なんだと思えれば、他の大人には決していわないような高圧的なものの言い方はしないと思います。
また、一方的に命令をすることもしないでしょう。
ママが自分の子どもを、赤ちゃんの時から「一人の人間」として接することが大事であるという子育ての「在り方」を身に付けていると、自然と子どもに対する言葉や話し方、伝え方が変わってくるのだと思います。
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私も娘をマイナスの視点で見て、「一人の人間」として見ると言う単純な視点に立てて居なかった。父親失格だったから、娘が社会人になった今も「反抗期」が続いて居るのだろう。