またもや厚労省の統計の不手際が指摘されている。官僚機構のユガミ、腐敗、怠慢の故か? 意図的な内閣・行政の不都合なことの隠蔽なのか? 「日本の勝利」を敗戦直前まで虚偽の発表をし続けた「大本営」のように安倍内閣は落ちてしまったのか? 明石市でも地方行政の長である市長が職員に暴言を吐くという醜態をさらした。いくら良いことをいい、市民のための政治をしても「人間性」そのものが疑問視され、不信感を招く。国会議員にも地方行政の長、地方議員にもパワハラやセクハラ、不正などが続出している中で、テレビを見ても謝罪の頭を下げるシーンが続出する中で、「他山の石」とする謙虚な心がないのか? 権力に溺れて謙虚な心を失ってしまったのか。そのような人たちに、国家や地方行政のリーダーでいて欲しくない。自らを選んでくれた国民・選挙民にを馬鹿にし、裏切って歯牙にもかけないような政治家を許してはならない。国民をなめきっているが故に行政に緊張感が欠けている。
官僚もそうである。憲法では官僚は「公僕」と定められているが、国家と国民のために公僕として奉仕しようなどとの志高い誇りある有り様は失われてしまったと言わざるを得ない。勿論全員がではないが、官僚「機構」として腐敗が進行している。志高く矜恃を守らんとする役人は遠ざけられ、イエスマンが重宝される。国会から内閣から国家機構が腐敗して要るのであるから、その下にある地方もまた同様となる。利の為に言動する小物ばかりが増える。木っ端役人が増える。
いつもの繰り返しになって自分でも嫌になるが、安倍総理が国民の支持を受けているのではない。自由民主党が国民の支持を受けているのでもない。自民党の中で安部さんが総体的に「マシ」かなということで総裁・総理に選ばれているに過ぎない。アンケートでも賛成も反対も少なく、「他にいい人がいない」からとか「支持政党なし」が多くの比率を占め、積極的支持は少ない。自民党もまた同様で、他の野党が劣っているために、他がだめだから総体的にいくらか「マシ」の自民党を選んでいるに過ぎないのだ。
それがよく解っているにも拘わらず改善を図ろうとしないのは、改善する力がないからである。また、志を持ち誇り高き人材を排除しようとし続けるのは、それが自らの立場を安泰にする方法であることが解っているからである。「国家・国民のため」ではなく「自らの立場を守るため」に権力を使っているからである。
明治期に「富国強兵」を唱え国家の発展と国民のレベルアップを具現していった時の政府及び政治家は、後世に大きな痛手を負わせる結果を招いたが、志と実現する気概、実行力は優れたものがあった。西郷隆盛しかり、大久保利通しかり、伊藤博文しかりである。当時の国家のリーダー層は「国家・国民のために」権力を使い、口先だけではなく政策を具体化していくために生命をつかうという覚悟を持っていたと考える。それに比較すると今の政治家はまるで「政治家ごっこ」をやっているかのようである。「「政局」には心を配るが国家・国民は二の次・三の次である。
またもやいつもながらの批判の繰りかえしに陥るので、これでやめます。若ければ私が立候補したいくらいだが、100歳くらいまでボケずに生きれるならともかくもこの年齢では今や遅しである。しかし今後ともに、祈りを込めて誤りは誤りと主張し「文句たれ」と批評されても批判だけでも表現したいと思う。諦めないで。
歴史を見ていると必ず反動は来る。独裁政治に偏れば、必ず独裁政治は行き詰まり終わる。まさに「驕れる者久しからず」である。安国寺恵瓊もまた、織田信長が独裁権力を振るっているときに「信長は高転びに転ぶ」と予言し、信長は光秀の裏切りにより自刃に追い込まれた。田中角栄もロッキードで事件失脚せざるを得なかった。
今の体制が行き着くところまでいたら反動が来て、より民主主義的な政治が行われる時代が来よう。
そんな希望的観測を述べつつ、今日はここまでとします。……… ごきげんよう。