「木綿のハンカチーフ」の歌詞を聴くと作詞家の松本隆氏が当時の時代状況をうまく切り取り、それが今日のわが国の東京一極集中や地方都市や農山村の人口減・少子化に繋がるものであることを予見していたとも考えられる。この歌は1975年、今から43年前に発表されたものである。わが国の高度経済成長期が終焉した直後で、またバブル経済期の10年前であった。
「木綿のハンカチーフ」の歌詞は、田舎町(地方としか農山漁村か)で生まれ育った若い恋人のこの時代における価値観のギャップを歌詞としている。「大都市」で働き生活することに憧れる若き男性と田舎町で生きようとする若き女性の相反する価値観は、当時の時代状況を代表している。「……僕は旅立つ 東へと向かう列車で……」というのだから、おそらく九州方面から「……華やいだ町……」の代表である<東京>へ強い憧れを持って就職(たぶん進学ではないだろう)する青年と田舎町で従来通り安定した瀬活を送ることを願う女性のギャップの広がり、心の乖離が死となっている。それは、男性の女性に対する言葉に対して、彼女は全て歌詞の冒頭で「いいえ……」と否定している。彼の健康を気遣い、故郷から心が離れる心変わりを恐れ、そうして最後には、きらびやかな華やかな福や宝石をではなく、別れの涙を拭く<木綿のハンカチーフ>のプレゼントを希望するのである。
そういえば、前川清の歌に『東京砂漠』なんてのがありましたっけ。本論とは外れますが、室生犀星の詩に「故郷は遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの……」などといった『小景異情』でしたかもフッと思い出しました。
「故郷」とは一体何なのか? 殆どの日本人の先祖は「百姓」であり、何代にもわたって同じ家に子々孫々まで住み続けて田畑を耕して「家」を継承しながら生きてきた。「家」こそが家族・家庭の中心、生活の中心であった。しかし、今や農山村部のみならず地方都市も人口流出しが進んで不在の空きや家が増え、人口流出ではなくとも「親との同居」を避けて若者は別に家を建て、家を借り、老夫婦または独居老人のみの家が増えた。
産業の変化は社会の変化に繋がり、家族形態もまた変化してきたのである。新たな家であっても、今や「サザエさん」や「寅さん」のような家族形態は崩れ、かぞくは「核家族」、家庭は「個室」「孤食」が当たり前になり、ちゃぶ台を囲んでの夕食など<家族の団らん>はとうに崩壊してきた。家族の変化は、そこに生まれ育ち、生きる人々の生き方や心までもを変えてきた。
これを時代の流れ、時代の変化として受け止めて諦めるのか、新たな家族の繋がりを再構築する道を模索するのか。
歌というものは、本当に時代を反映するものだと感じつつの感想でした。
歌詞一つを見ても「汽車」・「ダイヤル」・「風呂屋」・「下宿」・「学帽」・「セーラー服」・「レコード」等は死語に近く、「蓄音機(レコードプレーヤー)」・「カセットテープ」・「・フロッピーディスク」・「MD・CD」等すらもが遠くなりつつある。「ポケベル」なんてどうなったんだろう。