「閑話休題」: 日本的精神の好評価の根拠を探る⑤…… 最終章 まとめ | 太郎椎茸のブログ

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 前回は儒教と儒教精神を一つの大きな柱とする武士道の影響について述べた。諸外国からも高い評価を受けた日本的精神を形成した思想的背景について述べてきたが、今回をまとめとして一区切りをつけたい。雑な論の展開であり自分でも満足していないが、第一段階として一区切りつける。このテーマはさらに研究し練り直して、より核心を的確にまとめ上げたいと思う。いつのことになるかは不確定だが。

 

 日本的精神の基盤となっているのは、①「清く明き心」をキーワードとする神道と,②「慈悲」を根本道徳とし、「諸行無常」・「縁起(因果応報)」を説く仏教思想、③「仁・義・礼・智・信」の五倫を根本道徳とし「忠・孝」の徳目によって江戸時代の幕藩体制を支え武士道のみならず庶民の生活にも大きな影響を与えた儒教について述べてきた。加えて、④神道や仏教思想の影響を受けながら、土着の思想として鎌倉時代に生まれた「本領安堵のために生命をかけ名を惜しんだ」武士道から、儒学の影響を受けつつ江戸時代の平和な社会の中で新たに変化を遂げて、誠意的指導者階級として庶民の上に立つ誇りと手本となるべき人格形成、主君の恩に対する忠誠を理想とした武士道の、このいわば4本の柱が相互に影響を与えつつ、あるいは混交しつつ、日本人の精神的基盤を、換言すれば道徳心・倫理観・人生観・世界観・価値観を形成してきたのである。その精神性に包含された美徳が、戦国時代末期から明治維新期にかけて訪日したヨーロッパ人に高く評価されたのであり、現在もなお来日する世界の人々から、あるいは日本製品を使用する世界の人々から高く評価され信頼される元となっている。

 

 しかしながら、明治以降の富国強兵策に基づく大陸進出や植民地支配、第二次敗戦後の高度経済成長期の物質的豊かさの追求・拝金主義などの流れの中で、外にばかり目が行き自己の心の内面に目を向け忘れ、自己中心に走りすぎる生き方=利己主義が強まって、かつての美徳とされた精神が消えかかっている。また、かつての日本人の行き方・考え方の基盤となり、また道しるべとなって導いてくれた仏教や儒教が指標となるべき力を失い、それに代わる基盤や指標を見いだせないまま混沌とした不安の中にあるのが、現在の日本人の精神的状況であろう。かつての中国の戦国時代で荒廃した後の「諸子百家の時代」の再来を待つしかないのか。

 

 思うに、物質文明、科学技術は紀元前後の時代に比べて比較にならないくらいに発達したが、精神的文化はあのソクラテスやイエス・キリスト、仏陀や孔子の時代を越える思想は生み出せていない。儒教の古学派や国学の復古神道を真似るわけではないが、改めてギリシャ哲学やキリスト教、仏教や儒教を学び直すときなのではないかと考える。その上で新たな生命を吹き込むことが大切なのではないだろうか。

 

 以上で、本シリーズは一旦終止符を打ちます。それでは、ごきげんよう。