Bartók: Musique pour cordes, percussion et célesta (Orchestre Philharmonique de Radio France)
00:06 : 1er mouvement : Andante tranquillo
08:40 : 2ème mouvement : Allegro
16:45 : 3ème mouvement : Adagio
23:30 : 4ème mouvement : Finale. Allegro molto
8日の夕方、ラインに教え子5人組の振り袖姿の写真が送られてきました。あれ?と思いつつ、ああ「馬子にも衣裳」どころかみんな綺麗になって、にこやかに笑っています。ご両親は、結構懐痛めたことでしょう。ああ親バカだねえ。私もそうでしたけれど…。
さて、耳で聴く音楽史は近代に入ります。年代的に後期ロマン派と重なりますが、そのまま進めます。日本の瀧廉太郎は23歳と言う若さで去りましたが、時代的には彼の生まれた1879年あたりから始めます。滝廉太郎は、2曲のピアノ曲以外は歌曲だけを残しています。死因は肺結核でした。この頃は、まだ抗生物質が発見されていませんでした。バルトーク・ベーラはハンガリー王国の生れでアメリカで亡くなった作曲家で、ピアニストで民族音楽研究家でした。バルトーク・ベラ「トランシルバニアの夕暮れ」やフルートの出番です58 バルトーク「ハンガリー農民組曲」などを以前に紹介しましたが、本人が「若い頃の私にとって、美の理想はベートーヴェンだった」と回想しているようにドイツ・オーストリア音楽の強い影響から出発したが、ハンガリー民族やハンガリー王国内の少数民族の民謡をはじめとした民俗音楽の収集とそれらについての科学的分析から、その語法を自分のものにしていった(同様の活動を行った先人にチェコのヤナーチェクがいる)側面と、同時期の音楽の影響を受けた側面のバランスの中で作品を生み出す、という独自の道を歩みました。民俗音楽主義であり新古典主義でもあると思われます。カロル・シマノフスキもまた民族音楽の魅力に見せられたポーランドの作曲家です。1932年に作曲された交響曲第4番などが代表作と言えます。
マヌエル・ポンセはメキシコの作曲家で「エストレリータ」で知られます。ホアキン・トゥリーナはスペインの作曲家で、パーシー・グレインジャーはオーストラリア生まれの作曲家として活躍、いわゆるクラシック音楽がヨーロッパの中心から世界へと広がっていったことが判ります。コダーイ・ゾルターンもまたハンガリーの作曲家、民俗音楽学者、教育家、言語学者、哲学者という多彩的な活動をしました。代表作は、「ごらん、ジプシーがチーズを食べている」、歌劇「ハーリーヤーノシュ」、ハンガリー民謡「孔雀が飛んだ」による変奏曲などが知られます。
Z.コダーイ/ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲
公演名:洗足学園音楽大学管弦楽団 第76回定期演奏会
西日本豪雨チャリティーコンサート 日時:2018年11月8日(木) 会場:洗足学園 前田ホール 指揮:秋山 和慶 演奏:洗足学園音楽大学管弦楽団
イーゴリ・ストラヴィンスキーは近代作曲家の中でもその存在は大きく、バレエ音楽3作品(「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」)で知られるほか、指揮者、ピアニストとしても活動しました。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人です。ストラヴィンスキー「プルチネルラ」やストラヴィンスキー「春の祭典」成長を続ける日本のオーケストラで紹介しました。今回は、最後に交響的幻想曲『花火』Op.4(1908年)を聴いて終わりにしますが、日本の若手作曲家の武満徹を見出して世界に紹介しています。これはのちにバーンスタインが、ニューヨーク・フィル125周年記念の曲「ノベンバーステップス」を武満に委嘱するきっかけになりました。。
ストラヴィンスキー 幻想曲「花火」 ブーレーズ
今回は、8人だけ取り上げました。これらの人物の間には、ジョルジェ・エネスクやエルネスト・ブロッホの名前がありますし、ストラヴィンスキーの1年後にはアントン・ヴェーベルンの名前も見えますから、ロマン派と近代の作曲家の間に厳密な線引きは一切ありませんン。
しかもこの時代は、12音の音楽作品が出てきたかと思えば、新古典主義の音楽や、民族音楽の歳復興、或は楽器編成の実験、電子音楽の登場など行きつ戻りつ混沌とした時代のさなかにあります。