Stravinsky Le Sacre du Printemps - Igor Markevitch - Live in Japan 1968 (video)
Stravinsky:The Rite of Spring Part1 =LIVE= Tatsuya Shimono / HIROSHIMA SYMPHONY ORCHESTRA
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」より第1部 大地礼賛
Stravinsky:The Rite of Spring, Part1 L'Adoration de la Terre
指揮:下野竜也 Tatsuya Shimono, Dirigient
管弦楽:広島交響楽団 Hiroshima Symphony Orchestra
昨日は、奥多摩を越して山梨県丹波山村まで行きました。月曜で連休中の間の平日だからと思って狙ったのですが、何のなんの自転車、オートバイ、もちろん車も居るわ居るわ、よくぞまあと言った具合。こっちはゆっくり景色を見たいからのんびりなのに、後ろから飛ばして詰め寄ること甚だし。しようがないのでスペースを見つけては、左により窓を開け右手で「先に行って」合図を送ること数回、何とかいい気分で往復しました。その話はいずれまた。
さて今日は、ストラヴィンスキーを聴きたいと思います。時期的にも「春の祭典」でしょう。シェーンベルクが和声と言う縦の秩序を解体、或は破壊したと言えますが、ストラヴィンスキーは横のリズムのシステムを解体したと言っていいかもしれません。ワルツやマーチのような単純なリズムの他にも変拍子やリズムの二重構造など様々な取り組みはそれまでもありましたが、「春の祭典」においては、徹底的に時間は不規則に切り刻まれ、寸断され、予想を裏切る形で繋がれ、止まり、引きつけたように動きだし跳ね回るのですが、不協和音とリズムクラスター、それらで乱暴なほどのエネルギーと破壊力に満ちた音で私たちに迫ります。
この音楽を初演した時には、サン=サーンスは冒頭のファゴットのフレーズを聴いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと言いますが真偽のほどは不明です。これは無理からぬことで、演奏可能なぎりぎりの高音のフレーズの演奏は難しく、ファゴット奏者のオーケストラ入団試験によく使われると言います。
一方踊りです。1912年春頃、ディアギレフは、天才ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーをメインの振付師にすることにします。ニジンスキーのダンサーとしての才能は賞賛しながらも、不安を抱いていたストラヴィンスキーは、ニジンスキーが音楽の知識を持ち合わせていないことに気がつき、ごく初歩的な音楽の基礎を教えることから始め、音楽と振付を同調させるのに苦労しています。
不安になったディアギレフはダルクローズの弟子ミリアム・ランベルクを振付助手として雇い入れますが、うまくいきません。ニジンスキーは、ドビュッシーの「遊戯」と「春の祭典」の2作品の振付を担当していますが、振付や指導の経験がほとんど無く、自分の意図を伝えることが苦手なニジンスキーは度々癇癪を起こし、稽古は120回にも及びます。更に、主役である生贄の乙女役、ニジンスキーの妹が妊娠してしまったため、急遽ピルツを代役を立てなければなりませんでした。ピルツに対し、ニジンスキー自らが踊って見せた生贄の乙女の見本は実にすばらしいものでしたが、ピルツの踊りは、ニジンスキーの「みすぼらしいコピー」だったと言います。
苦難の結果できあがった舞台の、地味な衣装のダンサーの一群の踊りは、従来のバレエとは全く違う種類の物でした。このように、ありとあらゆる面で型破りだったこの作品、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために作曲したバレエ音楽は1913年に完成し、同じ年の5月29日に初演されました。
初演に先立って行われた公開のゲネプロは平穏無事に終わったが、本番は大混乱となった。
曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合い、野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。ディアギレフは照明の点滅を指示し、劇場オーナーのアストゥリュクが観客に対して「とにかく最後まで聴いて下さい」と叫んだほどだった。ストラヴィンスキーは自伝の中で「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」と回顧している。『春の祭典』初演の混乱は、1830年の『エルナーニ』(ヴィクトル・ユーゴー)や1896年の『ユビュ王』(アルフレッド・ジャリ)の初演時に匹敵する大スキャンダルとなり、当時の新聞には《Le "massacre" du Printemps》(春の"災"典)という見出しまでが躍った。
挙げればきりのないほどのエピソードを抱えたこの作品は、ストラヴィンスキーの3大バレーの一つです。それは、みなさんご承知の通り「火の鳥」(1910年)「ペトルーシュカ」(1911年)とこの「春の祭典」です。ストラヴィンスキーは、「春の戴冠式」という意味合いのフラン語表記を気に入っていたようです。
この曲の演奏に当たって困難なことが幾つかあります。他の2曲ほどではありませんが、何回も手直しが入っていることです。1913年版、自筆譜。初演に用いられた。1913年版(4手ピアノ版)、1913年5月、1952年、1921年版、1929年版、1943年版、1947年版、1965年版、1967年版、1968年版(4手ピアノ版)などがそれです。
更には、編成の大きさです。
967年版の楽器編成
木管楽器
フルート3(3番はピッコロ2番に持ち替え)、ピッコロ1、アルトフルート1
オーボエ4(4番はコーラングレ2番に持ち替え)、コーラングレ1
クラリネット3(A管とB♭管を持ち替える。3番はバスクラリネット2番に持ち替え)
小クラリネット1(D管とE♭管を持ち替える)、バスクラリネット1
ファゴット4(4番はコントラファゴット2番に持ち替え)、コントラファゴット1
金管楽器
ホルン8(7番・8番はワグナーチューバ持ち替え)
ピッコロトランペット(D管)1、トランペット(C管)4(4番はバストランペット持ち替え)
トロンボーン3、チューバ2、打楽器
ティンパニ7個(ハイBが出るピッコロ・ティンパニ1と普通のティンパニ6):奏者2人が必要
大太鼓、トライアングル、タンブリン、タムタム、シンバル、ギロ、アンティークシンバル2 : 変イ(A♭)と変ロ(B♭)
弦五部(普通は16型を当てるが、バレエのピットの上演は12型が精一杯である。ただし、ストラヴィンスキーは練習番号101の第1ヴァイオリンにプルト8を指定している。)
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
さて、今日二つの演奏を並べた意味をご説明します。最初の動画は、1968年のイゴール・マルケヴィッチ指揮の日本フィルハーモニーの演奏です。これを遡ること、1960年にマルケヴィッチが振った「春の祭典」は伝説的な名演と言われています。その、アンコールとして、この年に再演されたものが、ビデオ(現在DVD)として残っています。
ストラヴィンスキーとも親しかった「辛辣で猛獣のような鋭い眼光闇にきらめく妖剣」(岡田暁生氏)のようなタクトと必死に食らいついている当時の日本フィルの演奏者たちの演奏はギクシャクとした熱演が作品の異様さをかえって浮き彫りにすると岡田氏は書いています。確かに当時の日本のレベルでは相当に大変だったと思います。
時を経て、朝比奈隆の大阪フィルの「ブルックナー」や尾高忠明の札幌交響楽団のバーバーの「弦楽のためのアダージオ」、山形と仙台フィルの「マーラー」など日本のオーケストラは東京だけではないし、レベルが著しく向上していることを私たちに知らしめています。水戸、金沢、九州、名古屋に京都は申すまでもありません。
私が最近応援している、広島交響楽団の演奏にも幾つかの確かな取り組みがあります。広島からの「世界平和へ貢献」を掲げ、コンポーザー・イン・レジデンスに細川俊夫氏、音楽監督に下野竜也氏を要することなどもその一つです。やや柔らかい「春の祭典」の響きですが、広島を始め日本のオーケストラはこの難曲を鮮やかに演奏してのけます。更に言えば、過去の演奏を聴いていると広島交響楽団のレベルが年々上がっていることがよく分かります。また、取り上げている演奏曲も結構幅広くて楽しみな企画が増えています。レナード・スラットキンのマーラーと「さくら」の演奏も聴いてみたかったです。
録音、録画でしか広島交響楽団のことを知りませんので、失礼がありましたらお許しください。コロナが明けたら、直接聴きに伺います。そして、ずっと応援しております。地元の皆様もよろしくお願いします。中村さんの一ファンより!あ、何より事務局の皆様ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
追記:東名も東北も関越も長い渋滞らしい。昨日出かけて正解だったかも知れない。
輸入楽譜/スコア/ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」1947年版
ピエール・ブーレーズ (アーティスト) Format: Audio CD