アーベル「ビィオラ・ダ・ガンバとバスのための6つのソナタ」 | 翡翠の千夜千曲

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        Abel: 6 Sonatas for Viola da Gamba & Bass

 

    

     [Ensemble PAN] W.A. Mozart, Symphony No.3 in E flat Major, K.18

 

 

 

 

 どうしてこの二つの曲が並んでいるのでしょうか。とっくに知っていると言う方は、中々に情報通とお見受けします。モーツアルト一家は、アマデウスを売り出すためにヨーロッパ各地を、演奏旅行で回っていました。1764年には、モーツアルト少年はロンドンに行っています。その頃アーベルは、ロンドンで活躍していた作曲家の一人でした。少年モーツアルトは、勉強のためにアーベルの曲を筆写したのですが、その曲が、「交響曲第3番 変ホ長調 K. 18」として ケッヘルの目録に載り、19世紀にはモーツァルトの作品として有名になったのです。(原曲は1767年に出版された『6つの交響曲集 作品7』の第6曲)

 さて、上のビオラダガンバとバスのためのソナタは、WKO141からWKO206までの作品ですが、やや古い感じの作品になっています。これは、どうやら初心者向けの練習用に書かれた作品のようです。

 アーベルの生涯については、以前の記事に書いてありますので、一部重複しますが簡単に書いておきます。

 カール・フリードリヒ・アーベル(Carl Friedrich Abel, 1723年12月22日 - 1787年6月20日)は、ドイツ出身の作曲家。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手であり、貴重な作品を残した。

 カール・フリードリヒ・アーベルは、バッハ家との強いつながりを持つ音楽の系譜によって音楽家としての生活ができるようになりました。アーベルの父クリスティアン・フリードリッヒは、J.S.バッハがカペルマイスターに任命されたケーテンで室内チェロとヴァイオリン奏者を務めており、二人は職業上も個人的にも密接な関係を築いていたのです。

 1737年にアベルの父親が亡くなると、カール・フリードリヒはライプツィヒに引っ越してきたバッハ家と一緒に暮らすことになりました。そこで、彼は作曲を学ぶことができるようになり、彼から彼はヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの即興演奏のを学び、聴衆を魅了するするスキルを学びました。

 1763年から、アベルはロンドンの家をヨハン・クリスチャン・バッハ(と共有し、ハノーファー広場のより有名なバッハ・アーベル・コンサートの前身であるソーホー広場のカーライル・ハウスで水曜日の夜のコンサートを開催しました。

 アーベルの6つのソナタ(WK 141-146)とここで書かれた4つの独奏曲は、この先駆的なコンサート購読シリーズがピークを迎えた1770年代にさかのぼります。比較的単純な作品であるソナタは、楽器の比較的初心者ながらアマチュアために書かれました。彼の目的は楽しませることだったかもしれませんが、アーベルは彼のかなりのメロディストとしての才能をすべてこれらの作曲に込めました。アーベルが即興演奏を披露し、それを変奏していくと言うことから、演奏者は装飾されたバージョンでゆっくりとした動きを繰り返すことにしました。ソナタの通奏低音の要素も解釈の余地があります。当時、庶民の間にもビオラ・ダガンバが流行していたこと、それに応えようとしたことが理解できると同時に、アーベルの音楽の二面性のようなものもうかがい知ることができます。

 

※ 以前の記事

 フルートの出番です156  アーベル「三重奏曲」

※ 一年前の記事

 クラウデイオ・アバドを偲んで

 

カール・フリードリヒ・アーベル: ヴィオラ・ダ・ガンバのための6つのソナタ