クラウデイオ・アバドを偲んで | 翡翠の千夜千曲

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音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

    

        Claudio Abbado Documentary

 

    

       Hélène Grimaud talks about Claudio Abbado (HD 1080p)

 

        

Memorial Concert for Claudio Abbado - LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA, Andris Nelsons

 

       

     Can an orchestra play without a conductor?

 

      

       tchaikovsky eugene onegin; polonaise berliner phil ¬claudio abbado

 

  もともと、私はカラヤン世代で、一時期心酔していたものでした。高校生の頃は、誰もいないオーケストラを目の前にして菜箸を振ったりしていたくらいです。後半は、ベルリンフィルとの関係も少しぎくしゃくしていたので、次はだれが指揮者になるのだろうと多くの人が気にしていたと思います。候補にはいろいろな人が上がっていたようです。おそらくは、バレンボイムもその一人でしょう。最後に残ったのがアバドだったという訳です。

  結論的に言うとベルリンフィルは、こうしたオーケストラにかかる問題は一人ひとりが投票権を持っています。例えば、新しい団員を決めるときもそうです。このように、一人一人の個性が大切にされ、各自が高い意識を持っています。でなければ、オーケストラがこれだけの高いレベルを保つのは無理です。ですから、カラヤンとアバドは別で、当然アバドとラトルは別であることが尊重されます。話を、戻しましょう。

  リハーサルなどでの様子を聞くと、余り長話をするようなタイプではなく、コメントと身振りを交えフレーズの作り方やアゴーギグを説明する程度で進めたようです。私が、個人的に好きなのは、「エヴゲーニイ・オネーギン」の中で単独でも演奏される機会の多い「ポロネーズ」を指揮しているときの幸せそうな笑顔です。

  LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRAでのアバドの位置づけもそうした意識に支えられていると思います。若い人には、もう随分前の話だったでしょうか。

  最後に一言。最初の動画で、最初のリハがマーラーというのも感慨深いです。