2024年1月5日(金)、年末から ”片頭痛” を訴えていたケー君を市中病院で診てもらいました。

 

スグにCTを撮ってもらい、問診では "頭痛と食欲不振” を伝えると、すぐに点滴が始まったんですが、点滴を打っているケー君の横で、CT画像を見る先生たちが慌ただしく病室を出入りしているのが気になる。

 

ようやく担当医から呼ばれ病室に入ると「ここで診ることはできないので、すぐに大学病院へ向かってください。救急車を用意します。」と意外な結果が伝えられ、私も妻もそしてケー君も軽くパニック。

 

ただ付き添ってくれている妹の ヒーちゃん なにより、あまりの急展開に不安がる ケー君を父親として少しでも安心させようと・・・

おぉ人生初めての救急車やん!楽しみやなぁ

 

なんとも馬鹿な声をかけてしまったことに、今でも反省しています。

 

 

 忘れられない1月5日

受信した市中病院から、救急車で10分くらいの大学病院(関西では有名な医学部附属病院)に到着すると、すぐに採血と改めてCTを撮られました。

 

入院することは市中病院で説明を受けていたので、妻が自宅に戻って妹の ヒーちゃん を留守番してもらい、入院セットを用意して合流したんですが、子どもの入院なんて初めての経験で、院内のコンビニで病院で渡された入院のパンフレットを見ながら必要なモノを追加購入しました。

  • 歯ブラシ
  • シャンプー(リンス入)
  • キャップ付きストロー・コップ
  • ペットボトルジュース(5本程度)
  • ティッシュ
などなど取り敢えずパンフレットに書かれているモノを手当たり次第に購入。

 

  担当医から病名が伝えられる

入院用品を購入している間に、脳神経外科の担当医がやって来て、救急待合の片隅でCT画像を見せながらケー君の病名を説明してくれました。

 

担当医

息子さんの病名は、胚細胞腫瘍と言われる悪性の脳腫瘍、つまり小児がんです。

 

衝撃的な告知の後も担当医は説明を止めることなく・・・

AFP(腫瘍マーカー)が5000以上あること、脳の松果体という場所に腫瘍があることなどを説明してくれたんですが、僅か15歳の我が子が、ドラマやドキュメンタリーでしか見聞きしたことがなかった「小児がん」に罹ったということだけしか理解できませんでした。

 

そんな大パニック状態の我々親が唯一聞くことができた質問が・・・

 

父と母

あの・・・ケー君は、治るんですか?

 

治療も始まっていないのに、何とも的外れな質問をしてしまい、結果担当医からは・・・

 

担当医

治療をしないと判りませんが、辛い治療になると思います。

 

という回答で、我々が願っていた「期待」を持たせるような回答は当然ですが得られませんでした。

 

 長い 闘病生活の始まり

”患者バンドを付けてもらって力なく笑うケー君”

 

担当医から説明を受けた後、脳神経外科の病棟に案内されると、すでに個室に移動して脳圧を下げるための点滴を打っているケー君が、自分の身に起きている状況を気にしないようにしているのか「初めての入院やぁ」と力の無い声で精一杯の笑顔を見せてくれました。

 

そんなケー君に “小児がん” であること “長い闘病生活” が始まることは、この時点では伝えることが出来ませんでした。

  • 15歳なんて、まだまだ子供なのにこの状況に耐えられるのか?
  • 実はこれ夢で、しばらくしたら目が覚めていつもの日常に戻るかも?

現実問題とファンタジーを思い巡らせながら、突然の出来事に疲れて眠ってしまったケー君を見つめていました。

 

  真っ暗になったケー君の部屋

どんな患者さんにも病院のルールがあって、一般病棟の面会は30分で18時までしか病室には居れないけど、看護師さんが気を利かせてくれて1時間ほど長く滞在させてくれました。

 

それでも家で独り留守番をしているヒーちゃんも心配で、ケー君を残し病院を去ることに罪悪感を感じながら、帰途についたのが20時で自宅に着いたのは21時前、いつもの金曜日のこの時間なら家族全員が揃って、他愛のない話しをしている時間。

 

高校受験を控えたケー君は、机に向かって勉強をしているはずだけど、ケー君の部屋は真っ暗で冷えきっていて、机に出しっぱなしの高校受験対策の問題集と筆記用具を見て初めて現実を突きつけられた感じで夫婦で大泣きしました。

 

このブログを書いているのが2025年1月5日、去年の今日2024年1月5日(金)は、家族にとって忘れられない日になりました。