3/30(土) 山下公園 ~らんたん~ | そんな感じ。 since March 28, 2005

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日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2024年03月30日(土) 晴

【横浜】(最高気温)23.5℃  / (最低気温)12.2℃

 

今日はおろしたての新しい靴で歩き回ったので、足が痛い。

Ventiサイズのマンゴーティーフラペチーノを持って山下公園に来たけど、ベンチは全然空いていない。

 

16:26

仕方なく噴水の周りの石に腰を下ろしましたよ。

しかし、Ventiサイズは飲んでも飲んでも減らないわ。

欲張るんじゃなかったかな…いや、絶対根性で飲み切るわ!

 

水の守護神像と噴水

 

フラペチーノが溶けないように、ペットボトルカバーで包んでみましたよ。

噴水の周りの花崗岩でできた腰掛は意外と座り心地が良いですよ。

花壇の春の花もキレイだこと。

疲れすぎて、しゃべり方まですっかりババァになりましたよ。

 

16:36 2月に山下公園に来た時、春になったらベンチに座って読書をしようと思っていたので、早速読書開始。

 

今、読んでいるのは「らんたん」。

5000円札の新渡戸稲造とか、軽井沢で心中した有島武郎とか、小学生の頃伝記を読んだ野口英世とか、私でも名前は知っているような人物が続々登場するのが吃驚。

 

登場人物の「捨松」という名前をどう読むのか分からかったのでググりました。

 

「すてまつ」で良かったんだ。

岩倉使節団(1871年)の一員として7歳だった津田梅と共にサンフランシスコに渡った11歳だった捨松。

岩倉使節団にこんなに若い少女たちがいたなんて吃驚。

梅と捨松は11年に及ぶ米国留学を経て、将来は二人で女子のための学校を日本で作ろうと約束するも、捨松は帰国後、年がいった大山陸軍卿と結婚してしまい、二人の間に溝ができる。

それでも女子英学塾を設立した梅を侯爵夫人・大山捨松が理事として様々な面で支えていく。

『四十代とは思えない、透き通るような素肌に冴え冴えとしたおおきな瞳、裾のふんわり広がったドレスを滑らせて歩く…』という捨松の描写を読んで、四十代になっているということは、1900年代~の話だと分かる。

さっき外交官の家で見た写真の夫人たちのいでたちと、捨松の写真が頭の中で交錯した。

 

16:38 

私、本を読みながら腕時計を見たんだけど、首をかしげて見たせいか、16時を過ぎているのに、15時過ぎだと思っていたのよね。

 

16:59

だから、どこからか鐘の音が聞こえてきて、冷たい風が吹き、青かった空が灰色になったのに気付いた時、漸く17時だと分かって、慌てて残りのマンゴーティーフラペチーノを飲み干して、山下公園を後にしました。

 

20:21

今日は22,000歩も歩いて、疲れ果てましたが、とても心楽しい一日でした。