3/30(土) 外交官の家 ~私の夢の実現~ | そんな感じ。 since March 28, 2005

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日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2024年03月30日(土) 晴

【横浜】(最高気温)23.5℃  / (最低気温)12.2℃

 

14:48 外交官の家

 

『1910年(明治43年)に明治政府の外交官内田定槌(さだつち)邸として、アメリカ人建築家 J.M.ガーディナーの設計により渋谷区南平台に建てられたもの。

木造2階建て塔屋付、鎧戸の窓、下見板張りの外壁で、アメリカンヴィクトリアン様式。

1997年(平成9年)に、山手イタリア山庭園に移築復元され、同時に国の重要文化税に指定された。

 

下見板張り(したみいたばり):板等の上下がお互いに少しずつ重なり合うように、横方向に張ること。 』

 

ベーリックホールなどの横浜の西洋館を見て回ったことはあるけど、山手イタリア山庭園に来るのは初めてかも。

西洋館の一つに「外交官の家」があるのは知っていたけど、外国の外交官が住んでいた家だと思っていたけど、日本の外交官だったのね。

しかも横浜にあった建物ではなくて、移築だったとは知らなんだ…。

 

玄関側から見ると八角形の塔屋(とうや)が見えないけど、庭園側から見ると塔屋が見えてカッコ良い。

正直、最初に玄関側から建物を見た時は、「割と平凡な感じだな…。」と思ったけど、塔屋があることで「ザ・西洋館」な感じがして、テンションが上がる上矢印

 

1階のサンルーム。

八角形の塔屋の部分に位置しているんですね。

ガラス張りのサンルームがいかにも西洋館。

庭に面した腰壁は引き違いの無双窓になっていて、足元から風も入れられ、夏は涼しく過ごせるそうです。

 

こちらの写真の方が無双窓が分かりやすいかも。

無双窓は、窓に竪板をその板の幅と同じくらいの間隔にあけてうち、内側に同じようにすきまをつくった引戸を入れて、これを動かして閉じたり、開けたりできる窓。 主として換気に用いる。 無双連子(れんじ)

 

サンルームの窓から広がるガーデンや横浜のビル群の景色が素敵。

 

ダイニング。

 

玄関の照明とか、ステンドグラスが可愛い。

軽井沢の家が着工したのは2001年秋。

その頃の私が憧れていたのが、まさにこんな感じの照明やステンドグラス。

あの頃の私がここに来ていたら、心の中でわぁわぁ、キャーキャー大興奮していただろうな。

 

こんなステンドグラスを見たら、涙を流していたかもしれない。

私が憧れていた世界は、「アメリカンヴィクトリアン様式」だったのだと今になって知ったわ。

 

重厚な階段。

 

2階の書斎に連なるアーチ型の入口を見て、「あっ!」と小さく声をあげた。

アーチ型の壁は軽井沢の家にもあるわ!

 

今まで認識していなかったけど、私は夢を叶えていたのだ。

憧れの家を建てるという夢を。

あの頃の憧れの一つは、洗面台はアンティークのボールで作るということ。

女性設計士にその夢を伝えると、その通りの設計図を書いてくれた。

建築前、その女性設計士と犬猿の仲の現場主任と施工主の私達夫婦で打ち合わせを行った。

「なんだ、この洗面台を作って、ボールを入れるつぅのは!? 奥さん、TOTOのシャンプーも出来る最高級の洗面台入れるから、それでいいだろ?」と現場主任に言われて、私は頭の中が真っ白になった。

「私って、予算の割に非常識なこと言っているのかしら…。」

設計士さんが「集成材で作れば、さほどコストはかかりません。」と言い返せば、「だから女は!」と畳みかけてくる現場主任。

夫が「この洗面台は彼女の夢なので、なんとか叶えてあげていただけませんか。」と丁重にお願いしてくれたので、現場主任の顔も立ち、一件落着となりました。

男尊女卑がまかり通る20年以上前の建築業界では、職人さんの顔を立てなければ物事上手くいかなかった。

夫がいなければ、女性設計士さんと現場主任の全面戦争になっていたかも。

そんな思い出が蘇りました。

 

2階鎧窓からの景色。

 

2階主寝室のベッド。

当時のベッドを復元したものらしい。

真鍮のベッドは素敵だけど、今のシングルベッドに比べて幅が狭い気がする。

夜中に床に落ちそうだわ…。

 

寝室から続く八角形の小部屋(サンルーム)。

外交官夫人のプライベートルーム。

この八角形の空間、素敵~。

 

寝室に続く浴室。

外交官夫妻は、1910年(明治43年)から洋式トイレを使っていらしたのね~。

昭和生まれの私は、子供の頃はずっと和式トレイだったわ。

小学2年生の時、親戚の家で初めて洋式トイレできばっていたら、足が攣って死ぬ思いをしたというのに…。

 

水道は井戸水をポンプで汲み上げ、和館のガスボイラーから浴室へ給湯していたそうです。

トイレにはハイタンクがあります。

 

15:03

2階の資料室にあった写真。

「外交官の家」の家主の内田公使と内田夫人が写っています。

この写真は「外交官の家」の応接間で撮ったのかと思ったら、内田氏がスウェーデン公使時代の明治45年、現地で撮影されたものらしい。

どうりで自宅なのに内田夫人が傘を持っているのは不自然だと思ったわ。

 

この写真は日本がオリンピックに初参加した1912年(明治45年)ストックホルム五輪の選手団とアテンドした内田公使夫妻の記念写真。

団長の嘉納治五郎氏は柔道の創始者。

マラソン選手の金栗四三(しそう)は大河ドラマ「いだてん」のモデルになった人。

監督の大森兵蔵と妻も写っている。

金栗選手は途中20位まで順位を上げるも、猛暑により日射病を発症し、道を誤り辿りついた民家で失神し、棄権に終わった。

 

初めて参加のオリンピックは陸上選手2名。

参加費は自己負担で、現在の貨幣価値で400万円かかったというから、参加することに意義があるというより、参加するだけでえらい出費。

だけど、そんな一歩がなければ、国民の理解、組織力が培っていかれなかったんだなぁ~と思うと意義ある参加だったと分かる。

 

花壇のルピナスがキレイ。

軽井沢の家の庭にルピナスを植えるのも、私の夢の一つ。

今年こそ実現させようかな。

 

この長い池と噴水、アルファンブラ宮殿を思い出すわ~。

 

メタセコイヤ並木。

 

庭園の先にはブラフ18番館があります。

 

(つづく)