わたしが「乳がん」という言葉に出会ったのは,幼い頃。
信州に住む母方の祖母は,ひとつのおっぱいはふっくらと,
そしてもう片方のおっぱいはペッタンコでした。
一緒にお風呂に入っていておばあちゃんに聞くと,
「おばあちゃんはね,病気でおっぱいを取らないと死んじゃうから,
手術でおっぱいを取ったんだよ」と教えてくれました。
その後,母の話で「乳がん」という病気があることを知りました。
おっぱいを片方なくしてしまうということは,想像できないほど大変なことでしょうに,
おばあちゃんはそんなことを微塵も感じさせずに生活をしていました。
一緒にお風呂に入ったり,温泉
や海水浴
にも行きました。
そうやって楽しく一緒に過ごしていたので,
わたしの中でそれはなにも特別なことではありませんでした。
それから年は過ぎ,おばあちゃんは年を取り,わたしは胸がふっくらしてきた頃。
ある日,伯父さんが
「本当は乳がんじゃなかったんじゃないの。誤診だったじゃないの。」
というようなことを言いました。
伯父さんとしては,自分の母親のおっぱいがなくなってしまったという
ショックな気持ちを抱え続けていて,それでついそんな風に
言ってしまったのだと思います。
でもそんなことを本人を目の前にして言うなんて・・・と,
反論しようと身を乗り出したとき,隣に座っているおばあちゃんを見たら,
ただニコニコと微笑をたたえて静かに,少しうなずきながら座っていました。
明治生まれのおばあちゃん,戦争を経験しながら5人の子を母乳で育てた。
看護師さんだったおばあちゃん,従軍看護婦として戦地にも赴いた。
病気に関する知識もあって,大変な思いをして子育てもして,自分が病気になって,
それもしっかりすべてを受け止めて,強い心を持った,わたしのおばあちゃん。
つらいことや,悲しいこともたくさんたくさんあったろうに,
そんなことは人に見せずに,おおらかで,いつもおだやかに微笑んでいる。
わたしが尊敬する,大好きな大好きなおばあちゃん
「たらちねの・・・」は『母』にかかる枕詞ですが,
わたしは「たらちねの・・・」とくると,『おばあちゃん』を思い出します。
おばあちゃんは長生きをして92歳まで生きました。
おっぱいを全摘したから命が助かったのか,
それとも本当は乳がんではなかったのか,それは誰にもわかりません。
でも,そうやって一生懸命に命と向き合って,人生を大切に生きてきた
おばあちゃんがいるからこそ,今のわたしがいるのだと思います。
そんなおばあちゃんに敬意を表して,わたしはすべての女性の
しあわせおっぱい応援団の「たらちね」さんでありたいと思っています