桜をながめる。徒然のこと。 | 片岡大志Official Blog

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シンガーソングライター 音楽プロデューサー 片岡大志のオフィシャルブログです。

 

 

毎日の報道を注視しています。

日毎に状況が変わっていくので

少しでも情報を把握しておきたいと

反応しちゃうのは防衛本能だろうね。

 

Twitterのタイムラインに流れていく

呟きを眺めながら、気づいたこと。

文字からでも声色って聴こえてくる。

 

冷めた苛立ち、拳骨を握る言葉、

一歩引いた諭しと見せかけ(てなくても)

どこか他者の受け売りっぽい言い回し。

 

 

優しくって真っ直ぐな眼差しに満ちた

メロディーのような文字も見かけたよ。

 

短くてしっかり的を得ている言葉は

呟いたひとの背筋が見える気がする。

様々の声色が、視覚的に聴こえてくる。

 

情報に混じった「感情」に気づくこと。

この感覚は、新型AI(人工知能)でも

解析できないんじゃないかと思う。

 

 

感情の混じった「情報」は数字さえも

湾曲させる。自分の感情を受け止めて

くれる情報を信じたくなる。怖いから。

 

ニューヨークに住んでる友達は

「日本のニュースを見ていると、

この混乱について、世界中の誰も、何の

責任も取れないという当たり前のことを

理解していない人が多いような気がする」

とSNSに投稿していた。I think so too…

 

 

布マスク効果ナシだとか

サージカルマスクだとか

何枚だとか、鬼の首を取ったような

言葉が濁流のように流れていたけれど

問題の本質は捉えていない。いや、

人間の本質は捉えてるのかもしれない。

 

「冷静中立を気取ってるヤツら」

この罵詈には目を覆いました。

この混乱を、二手の勢力に分ける言葉

これが政府 vs 市民で済むはずがない。

感染者 vs 非感染者に繋がる考え方の

温床になるのは、目に見えている。

 

 

 

アーティスト、表現者を名乗る者は

いつだって事象の本質を、本当のことを

貫く一本の「槍」を持っているはずだ。

 

その貫く「槍」の一筋の美しさは

ずっとあなたのものだったのだから

その美意識が、すぐれた表現力が、

機会を待ち、誰かの力になりますように。



 

これは私見です(どれも私見ですが)。

音楽家は、自分にしかない

「絶対音感」を信じるべきだ。

いまライブをやって、後ろめたさや

不安を感じずに演奏できるんだろうか。

お客さんは心から楽しめるんだろうか。

 

演奏家も小屋も、やがて限界が来るなら

その限界の一線は、誰かの息の根が

止まってしまうとき、そんな気がする。

 

自由の羽根を活かす機会は、この事態の

直後にやってくる。急がなくていい。

 

中止。痛くて辛い言葉だ。
休止。できるなら。すべての事情に
通ずる言葉は見つからない。
でも。いまは逃げて。終わらせないで。
来年は笑ってお花見しようよ。



20年 4月4日未明に 片岡大志より