15年前のトルコ初上陸!旅行記
第2章はカッパドキア初日
睡魔と闘いつつウルギュップ散策の巻。
今回も、いにしえ情報あり
勘違いに若気の至りあり。
2009年7月13日(月)
早朝4時にチェックインし
部屋の中を物色しているうちに外は夜が明けて
明るくなってきたー。
このホテル、グレードアップしただけあって
(1泊あたり+7,500円)
とってもラブリーな洞窟ホテル。
高台にあるホテルからの景色はバツグンで
早朝から敷地内を大冒険。
午前8時半、ようやく就寝・・・もっ!
ホテルの朝食を食べるべく1時間ほどで起床。
睡眠LOVERな私たちも
旅先では睡魔に勝てるのね。
テラスで朝食をいただき、お部屋に戻ると
・・・Zzz やはし睡魔には勝てないのね。
お昼過ぎ、フロントからのコールで起床。
「よかったら、お部屋掃除したいんだけど~」
『15分で出ますっ!!!!!』
本日の予定
①ウルギュップの街を散策する。
②ローズバレーでサンセットをみる。
というわけで
①も②も行き方を知らない私たち。
先ほど起こしてくれた
フロントのおばちゃんに聞いてみると
サンセットタイムやらタクシー代の相場まで
丁寧に調べてくれる。
ローズバレー情報ばっちしでホテルを出発!
・・・はて?
街の行き方聞くの忘れちゃった。
まず、ホテルの前の道を右へ進むか左に進むか。
全くわからん。
とりあえず大通りっぽい方へ進む。
炎天下の中、電波少年気分。
しばらく歩くと、第1村人はっけん!
躊躇なく声を掛け
行き方を理解するまで、容赦なく質問攻め。
根気よく丁寧に教えてくれたおじちゃんに感謝。
高台よりひたすら下り坂を歩いていくと
なにやら開けた場所に。
ウルギュップの中心街に到着♪
とりあえず、目的もなく街をプラプラ。
すると、すごい勢いで声を掛けられる。
海外行くと、通りすがりに
「チャイニーズ」とか「コリアーン」とか
言われてイラッとするんだけど
トルコでは見事に
「ニホンジン?」って言われたよ。
昔、トルコの船が
日本の和歌山県沖で沈没してしまった時
近くの村の住民たちが
助けたということがあったみたいで
何でもそのことが
トルコの教科書にも載ってるらしい。
それから約100年後
イラン・イラク戦争の際には
「どの国の航空機であろうと
イラン上空を飛行したら攻撃をする!」
という声明をイラクが出し
日本へ帰国できず
イランに取り残されてしまった日本人多数。
日本の外務省が
国内の航空会社に救済の要請をしたものの
危険だからムリーと断念。
同胞の日本人もが断念したのに
ななんと!トルコ航空が日本人救出のために
飛行機飛ばしてくれたんだって!!
おかげで無事に母国に帰ってこれた日本人たち。
※2024追記:ここら辺は当時のtapi旅調べ情報。
詳しいアレコレは、2015年公開の映画『海難1890』を
観られると良き!かと。
さらにそれから約15年後
トルコで大地震が起きた際には
日本からトルコへたくさんの援助が。
阪神大震災で使われた
仮設住宅も利用されたみたい。
調べてみると、いろんな話がわんさかでてくる。
お互いに、助け・助けられという関係を
築いてきたんだね。
そういうわけで、私たちが街を歩いていても
ずばりジャパニーズだとわかってくれたのかな。
トルコに行くまで
そんな歴史まったく知らなかったけど
やっぱり実際に旅をすると
興味が沸いていろんなこと知りたくなるよね。
プラプラしてると、老若男女いろんな人から
「写真一緒に撮って!」と言われ
まるで有名人になった気分。
お年頃男子となると
必ずと言っていいほどデートに誘われる。
みんな大好きニホンジン!
手厚い歓迎を受け
イスタンブール空港でビビっていた私たちは
どこへやら?
昼間からEfesビールでごきげんなのね。
ウソかマコトか、15歳に見えるだなんて言われ
どんだけ子供っぽくみられるのだニホンジン。
ビール休憩中に突然降りだした大雨も
しばらくするとピタッと止み
夕方からローズバレーへと向かうのです。