11月23日の新嘗祭の日は、妻と連れ立って、二つの神社に参詣しました。
先ずは、収穫感謝祭が執り行われた高麗神社への参拝です。
ところで、高麗神社繋がりでご報告を一つ。
㊗ 即位礼奉祝祭 参列 ㊗ の記事中で触れた、臨時大祓式(12日)と大嘗祭奉祝祭(14日)へは、妻が参列しました。
大嘗祭当日は、妻を通じて、令和の御世の彌榮と、天津神と國津神の調和を祈りました。
大嘗祭が祝日の土曜日ではなく、中卯の日の11月14日となったのは、宮内庁側からの要請と聞きます。
古来、新嘗祭が卯の日に行われて来たことの意味を五行の観点から読み解いてみるのも、なかなかに興味深いのですが、今回はそこに踏み込むと記事が長くなりそうです。
次の機会に取っておこうと思います。
話題は、11月23日 ㊗ の参拝記に戻ります。
この日の収穫感謝祭では、奉祝演舞として、南部神楽の岩戸入が奉納されました。
そのような奉祝の日の参拝でしたので、限定の新嘗祭の御札をお分かちいただきました。
写真にもあるように、高麗神社の御神紋は、鶴丸です。
アメブロでこんな画像も見付けました。
‥勝手に拝借
高麗神社は、一昨年(平成29年)の秋に、明仁天皇(現・上皇)と美智子皇后(現・上皇后)の両陛下も参拝されました。
高麗神社についてのページを見ると、皇族の方々の参拝も多いようです。
この高麗神社の後に参拝したのは、信州木曾御嶽山を本山と仰ぎ、その御分霊を奉斎する御嶽信仰の神社である、秩父御嶽神社です。
これまで、“みたけ”神社へ参拝することは数多くありましたが、“おんたけ”神社への参拝は、機会がありませんでした。
とは言うものの、今年の秋季中祭で参拝した桜神宮も、御嶽三神が配祀されておりますので、御縁が結ばれていたのかもしれません。
この日、秩父御嶽神社では、もみじまつりが開催されていました。
しかし、高麗神社から秩父御嶽神社へと巡る参詣をしようと思い立った一番の理由は、他にありました。
高麗宮司を含む2人の神職と3人の僧侶による神仏セッションが、甲子(きのえね)の日に、秩父御嶽神社で開催されると知り、祭教分離や廢仏毀釋の時代を越えて、天神地祇や神様と御佛の調和と彌榮を祈るには、絶好の日和だと思ったのです。
秩父御嶽神社へ向かう道すがら、R299沿いの日月堂でパンを買うことにしました。
秩父へ向かう道すがら、氣になるお店だったのですが、日頃お世話になっているご住職のブログで取り上げられていたと妻から聞き、秩父御嶽神社参拝のエネルギーは、日月堂のパンで補給しようと決めました。
以下、御坊様のブログ記事へのリンクです。
セイショウ坊のブログ カフェ&ベーカリー日月堂と近くの石仏 日高市
御坊様も美味しいと評していますが、私と妻も大いに氣に入りました。
天然酵母&マーガリン不使用の美味しいパンが買えるお店を、また一つ見付けられたことが嬉しい。。
ありがとうございます。
車中、パンを頬張りながら、秩父御嶽神社へ到着です。
もみじまつりの案内が掲示されています。
大国主と少名彦の説話の掲示もありました。
露店から漂う香ばしい匂いに心揺れますが、先ずは里宮にて拝礼です。
境内地で神仏セッションが行われると知り、神々と御佛の御働き彌榮なるを祈りに参った旨を、意宣り(いのり)ました。
振り返れば、綺麗に色付いた紅葉に心安らぎます。
ところがこの後、露店を眺めながら里宮近くの社務所まで行って、思わず、、、
「本日の神仏セッションは諸般の事情により中止となりました」の貼り紙が。。。
帰ろうかなと一瞬思いましたが、駐車場代も払ったし、今ここにいることにも何か意味があると思いなおし、参拝を続けることに。。
紅葉を観賞しながら、頂上の本殿を目指して歩を進めます。
秩父御嶽神社には、信州木曽御嶽の御分霊を奉斎するだけに留まらない側面があります。
薩摩藩士としての幕末から、明治, 大正, 昭和初期を生き抜いた東郷元帥の像です。
更に歩を進めます。
368段の階段下に辿り着きました。
迂回路ではなく、階段を登ります。
唯ひたすら登ります。
階段右手が祈祷殿の裏手となっていて、暫し休憩。
祈祷殿裏の池で、白い鯉が、あくせくするなと言わんばかりに、悠々と泳いでいました。
暫しの休憩の後、再び階段を登ります。
左手側に見えた、三笠山神社に参詣することにしました。
秩父御嶽神社は信州木曽御嶽山を模しているので、山内に様々な境内社があります。
本殿までもうすぐです。
階段を登りながら、、、
、、祭教分離、神仏分離、、
、、祭神変更、神社合祀、、
、、南方熊楠、、
、、天津神、國津神、、
、、大和系、出雲系、、
、、南朝、北朝、、
、、かごめかごめ、、
小さな思考の塊が、、、
頭を通り過ぎてゆきました。。。
そうしてようやく、山頂の秩父御嶽神社本殿前に着きました。
最後の石段を登り、本殿前に立つと、さっきまで浮かんでは消えていた思考の波は、静かに治まってゆきました。
息を整え、令和の御世の彌榮を祈り、、ふと氣を惹かれて、向けた視線のその先に、、
一本の樹が在りました。
注連縄は巻かれていませんが、私にとってのその樹は、日本(ヒノモト/靈の本)に住む人々の集合意識として在る高天原へと繋がる神籬(ひもろぎ)でした。
高麗神社の大嘗祭奉祝祭で頒布されたお守りを手に、御神木(と呼ぶことにしました)に意を乗せ、あらためて、令和の御世の更なる調和と彌榮を、意宣り(いのり)ました。
話は若干逸れますが、「高天原」の読み方について述べたいと思います。
私は 『たか-あま-はら』 と発音するのが佳いという見解です。
「たか-ま-が-はら」という発音を聞くことも多いですが、頭で考える理由は脇に置いて、身體に訊いてみることをお勧めします。
「たーかーあーまーはーらー」の言霊(ことだま)の響きと、それ以外の発音をした時の身體の状態の差を感じてみてください。
「たか-あま-の-はら」 「たか-ま-の-はら」 「たか-ま-が-はら」 、、、
「たか-ま-が-はら」の音が身體に残ったままなのは、私としてはお勧めしないので、、、
一番快いと感じた言霊を幾度か繰り返して、その響き、その余韻を味わいましょう。
私自身は今では使う機会が減っていますが、馴染んでいる方はOリングテストやフーチ、またはその他のご自身に合った方法で、確認してみるのも良いと思います。
神社本廳は「たかまのはら」派の様ですが、私はやはり「たーかーあーまーはーらー」です。
話を戻します。
本殿前の場で静まった思考は、御神木を通した意宣りの後、更に統一されてゆきました。
現世(うつしよ)幽世(かくりよ)問わず、外の世界に意識を向けるのみならず、自らの内在の意識が分離してはいないかどうかに、視野が拡がってゆきました。。。
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~如是我聞~
老子道徳経
第三十三章 より
知人者智、自知者明。
勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。
不失其所者久。死而不亡者寿。
人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。
人に勝つ者は力有り、
自ら勝つ者は強し。
足ることを知る者は富めり。強いて行う者は志有り。
其の所を失わざる者は久し。
死して亡びざる者は寿(イノチナガ)し。
他人を知るのは智
(分析・相対智・頭脳で識ること)であり、
自らを知るのは明
(絶対知・ありのままを観ること)である。
他人に勝つとは
(相対的に)力が有るということであり、
自らに勝つとは
(絶対的な)強さを持つということである。
足ることを知っているならば
富んでいる(豊か)ということであり、
感謝のこころに徹しているならば
道の志(天命)を得たということである。
そのありがたきを見失わないならば
恒久の道と共にある。
死してなお亡びない存在は永く続いてゆく。
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知人者智、知自者明。
勝人者有力、勝自者強。
ではなく、
知人者智、自知者明。
勝人者有力、自勝者強。
なので、
自は “自ら” ではなく “自ずから” と
読んでみるのも面白いと思います。
自ずから湧き出してくる明知、
自ずから勝つことこそ真の強さ、
個人的にはこの意味の方が腹に落ちるので、そう読んでいます。
ところで、、
如是我聞がシリーズ化しておりますが、
「是の如く我聞けり」という意味で、
題としております。
ここでも、
「是の如く老子説けり」
ではないことをご承知おきください。
解釈に齟齬があれば、私の理解力の故です。
(言い訳)
阿難(アーナンダ)尊者も、
「是の如く佛陀説けり」としていないのは、
もしかしたら同じ意図かもしれません。
老子が道徳経に込めた深淵なる意味を、
曲げず漏らさず、
「是の如く老子説けり」
と解説することなど私にはできません。
今後、言分けしない場合も、
~如是我聞~
とはその様な意図であることを、
温かく見守っていただけましたら幸いです。
秩父御嶽神社② (福寿山 散策) の記事へと続きます。