タヌタヌのネタ帳 -42ページ目

25日目

ちゃかちゃんりんちゃんりん

皆様、金玉亭タヌ助でございます。

えー、本日もつまらない話をおもしろおかしく話す
時間がまいりました。
お時間が許しましたなら、最後までお付きあい下さいませ。

さて、3月14日はホワイトデーなる悪習の日でございます。
クリスマス貧乏に続くホワイトデー貧乏でございまして
世の中の女性が何倍返しを期待しているかってぇと
3倍返しが普通だそうでございます。
ま、
しかしながら、飲み屋でお店から頂いたものについては
あまりお返しの必要はありません。
ママさんや店長さんの営業努力の一環でございます。
が、
例え飲み屋でもらっていても、おねえちゃん個人に貰ったのは
そういうわけにはまいりません。
まして、手作りなんぞを貰ったりすれば
それがおいしかろうがまずかろうが、そんな事とは無関係に
労力に対するお礼を期待する様でございます。
そんな時に決して、お前ら商売やろが、
などと決してゆってはならないようでございます。

「おい、ポン吉、この前貰ったバレンタインデーのお返し、頼む。」
「頼むっていわれましても、誰の分です。」
「お前に頼むのはおねえちゃんの分に決まってる。」
「この前、チョコおねだりツアーに一緒に行った分ですね。」
「おう、回った店も貰った相手もお前と一緒だから判ってるだろ。」
「で、師匠、共同購入にしちゃいますか、別購入にしますか。」
「本来は別購入がいいんだが、お前もたいへんだろうから、
二人分でちょいといいものを買ってきておくれ。」
「で、何人でしたっけ。」
「だからお前がちゃんと判ってると思って頼んでる。」
「えっと、3軒回って13個でしたっけ。で
一人1000円のものを貰ったとして2人分で2000円。っと。
それの、3倍返しとして、6000円×13で78,000円。
で、師匠が5万円で、あっしが2万8千円ですか。
え?ちょっと高くないですか。」
「うん。高いな。それに又、渡すのに飲み代がかかる。
3倍返しはやめよう。1人3000円分でいいや。
おいらが2万4000円でおまえが1万5千円」
「でも、しみったれとか思われませんかね。」
「だから、お前に頼んでる。頭を使って揃えておいで。」
「お返しを買う時のポイントはどうします。」
「その1」
「はい、その1」
「ホワイトデーギフト売り場に全面的に頼らない。
大体、ポーチとハンカチのセットなんてのは
あまり、受けがよくない。探した労力を全面に出す。」
「えっと、その労力は私もちですか。やっぱり。」
「同じハンカチでも相手の趣味や年令を考えて
同じ店でも相手によってブランドや色を変える。
予算に合わせて2枚よりも倍の値段のものにする。」
「だって2枚の方が高く見えますよ。」

「そこで、ポイントその2だ。」
「はい、その2」
「おねえちゃんたちは、ものの価格を知っている。
3000円のバッグよりは2000円のストッキングの方が
受けがいいのだ。」
「だって、3000円の方がいいんじゃありませんか?」
「キャッシュで貰うならそりゃ3000円の方が2000円よりいい。
が、
3000円のバッグを飲み屋のおねえちゃんが使うか?」
「うーん。みんないいバッグ持ってますもんね。」
「そ、使えないものはただのゴミ。」
「なるほど。」
「ハンカチなんて安いのは500円。
そこで2000円のハンカチは価値がある。なんちゃって。」
「師匠、まただじゃれですか。」

「その3」
「はい。その3」
「おまけをつける。」
「は?おまけですか。グリコみたいな?」
「この場合のおまけはコンビニで調達する。」
「コンビニですか。」
「コンビニは、バレンタインデーやホワイトデー用に
業者から大量購入を条件に無茶苦茶に原価をたたいた商品を
準備しているんだな。
しかも、商品の種類は少ないし、
売れ残りが出ない様に少量しか仕入れていない。
てゆうか、業者が出来るだけ数を出したくない。」
「なんでそんな事が判るんですか。」
「ありゃ、明らかに原価割れだな。コンビニ巡りをすれば判る。」
「バレンタインデーやホワイトデーの商品は割高かと思ってました。」
「それは、チョコとかクッキーだ。」
「なるほど。メモメモ。」
「従って、コンビニを何軒も回るのだぁ。」

「その4」
「はい、その4。」
「ちょっと変わった商品を輸入雑貨や文房具店で探す。」
「それはどうしてですか。」
「他の客と絶対かぶらない様にするため。
同じハンカチでも売り場が変わればおもしろい商品もある。」
「いや、だからハンカチなら婦人雑貨でしょ。」
「そりゃ、大きな間違い。各ブランドの個別ショップにもあるし
バス用品のとこにもフェイスタオルはおいてある。」
「なるほどぉ。
以上で注意事項はよろしいでしょうか。」

「いや、その5」
「はい、はい、その5」
「一店で全員分揃えないこと。」
「それはそうですね。あとでいいもん見つけたら後悔する。」
「それこそが努力と労力の投資である。では、ポン吉隊員、成功を祈る。」
「ラジャー」

とゆうところで
お時間もよろしいようですので
続きは、又の機会にという事で。

24日目

ちゃかちゃんりんちゃんりん

皆様、金玉亭タヌ助でございます。

えー、本日もつまらない話をおもしろおかしく話す
時間がまいりました。
お時間が許しましたなら、最後までお付きあい下さいませ。

「おい、ポン吉。艶笑話を作ってきたか。」
「そんな、作れと言われてすぐ出来る様なら苦労はしない
苦労せずに出来るのは子供だけ。」
「ふん。世の中には子作りに苦労しているヒトもいるってのに。」
「てなわけで、そういう場合は養子に限りますな。」
「なんだ、どっかからのパクリかい。」
「まあそうおっしゃらずに3題ほど。」

ひらき
ある百姓の夫婦、畑で野良仕事をしている最中に、したくなりまして、二人でやってしまいましたが、なにしろ畑ですから、終わってから、拭くものがない、しょうがない、誰も見ていないから、天日で乾かそう、なんてんで、二人で畑の真ん中で、またぁ開いて、寝ておりまして。
女房「さ、とっつぁま、そろそろ乾いたで、野良こくべぇ。」
亭主「ええ、おめぇはもう乾いただか、おら、まだ、乾かねぇだぞ。」
女房「そりゃしかたあんめぇ、お前様、丸干しだが、おら、ひらきだで。」
亭主「そっか、丸干しだからちびっと縮んできただ。」

チョコレート
女の子がお菓子屋さんにチョコレートを買いに来まして。
お菓子屋「チョコレートは、男の子の人形の形をしているのと、女の子の人形の形をしているのがあるけど、どっちがいい?」
女の子「男の子の方がいいわ。」
お菓子屋「へぇ、どうして男の子の人形の方がいいの。」
女の子「だって、食べる所が多いから。」
お菓子屋「あら、ごめんね。うちの亭主がモデルだからたいして多くないわよ。」
すると裏の方から亭主が小声で
「女の子もお前がモデルだからおまけがないんだよぉ。」


好き者の夫婦
昔は、男女七歳にして席を同じゅうせず、なんてんで、今のように男と女が肩を並べて歩くなんてことはありませんでしたが、そんな中で、お祭りの時だけは、男と女が並んで歩けたんだそうでございますが、なかには助平なやつもおりまして、女と肩を並べて歩くくらいじゃつまらない、なんてんで、その上の事を望みまして、そういうやつは、縁日なんかが出ている明るい所ってのは避けて、神社の裏境内の薄暗がりの中で、なんかないかと歩いていますと、向こうに女の人影が写ります、男が女にそっと近付くと、女も男にそっと近付きます、男が女の手をそっと握ると、女も男の手をそっと握り返す、こりゃもう間違い無いなんてんで、そばの草むらかなんかで、こう子孫繁栄のために励んでおりますと、やはり神社の境内で変な事されちゃいけないてんで、お侍さんが提灯を提げて見回りにやってまいりまして、草むらの中でなんかやってる二人を見つけまして、提灯を差し出しまして。
侍「これこれ、なんであるかその方どもは、かような所でその様な事をいたして、不届きであるぞ。」
男「いえ、あの、その私たちは別に怪しい者ではございませんで、私たちは、ふ、ふ、ふ、夫婦でございまして。」
侍「たわけた事を申せ、夫婦なら、そのようなことは、自分のうちでいたすがよかろう。」
男「いえ、それがお役人様、私どもも、お役人様の提灯で照らされるまでは、夫婦とは気が付きませんでした。」
侍「たわけた事を申せ、夫婦なら、顔をみずとも判るであろう。」
男「それがなぜか顔を見ないと、息子も一回り成長します様で。」

「まあ、艶笑噺なんてのは作者不詳が多いから使っちゃうかねえ。」
「多分、作者は有名な師匠なんでしょうが、堂々と名前も出せない。」
「お前が写真家をきどっていても盗撮写真で
名前が出せないのとちょっと似てるな。」
「最近は盗撮はしてませんて。」
「こら、威張るな。」
「ありゃま、その人の盗撮写真を投稿してるくせに。」
「ま、艶笑話と同じってことで。」

とゆうところで
お時間もよろしいようですので
続きは、又の機会にという事で。

「因果応報」

意味:よい行いをした人には良い報い、
___悪い行いをした人には悪い報いがある。
___過去および前世の因業に応じて果報があるという意。
解説:もとは仏教語で、過去・前世の行ないに応じて
___果報があるという意味。
___善因善果、悪因悪果のどちらも含まれるが、
___現在、悪いほうの意味で使われることが多い。

だが、普通は常に善因であれと思ってやるわけだ
例えば、強盗をしてその金で遊ぼうと思うのも
自分に取って善果をもたらす行いは善因であるわけだから
強盗自体も本人にとっては善因なわけだ
自分に取って悪果をもたらす行いをしたい人は少ない

果報は寝て待て、という言葉も寝る事が善因である
という前提で寝るわけで
ただ問題が本当に善果がくるかという問題と
結果が善果か悪果かという判定が誰の基準で
行われるかという問題である
無論、そんな事は本人の預かり知らぬ事である

「思った通りにはならないがやった通りにはなる」
とは言われるが
これは因と果の関係が納得出来る人間には理解出来
因果の関係が納得いかない人間には理解出来ない
一生懸命頑張りました、とか
精一杯やりました、とか
明らかに自分では善因であるのに悪果がもたらされた
と勘違いした発言を良く聞く
そしてその原因は運が悪かったなんぞという

結局、悪果もあれば善果もあるが
悪果には必ず悪因があり
善果には必ず善因がある、と考える事が重要であり
例え悪因が現世の自分自身ではなく
前世の自分であったとしても
それはそれとして受け入れる事が重要であり

今、どうするか
という事が重要になるわけだ

今の時代の今の世界に生まれた事自体が
ヒトの悪因と考えれば基本は悪果がもたらされる
小さな善因を重ねたところで
トータルでは善果までたどり付かないかもしれない
マイナスからよりゼロに近づけ、と願いつつ
ヒトは生きていくしか無いのかも知れない