故「東儀雅美さんを偲ぶ会」、 | 田沼敦子公式ブログ

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2024.2.10.朝起きて、最初にしたことは「カラメル風味のわらび餅」作り。自分のレシピを見ながら作りました。 (下は20年以上前、雑誌に掲載されたときのコピー)

 

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亡くなられた雅美さんのことを思い、お母さまにお渡ししようと思って・・・。

 

雅楽師、東儀秀樹氏のお姉様、東儀雅美さんが亡くなられたのは昨年8月なかばでした。

5月31日、「トーちゃんを偲ぶ会」に演奏をお願いしたとき「喜んでさせていただくわ、でも、私ガンの末期なの。もしダメそうだったらCDをお渡しするわね~」と仰られたときにはビックリして言葉が出ませんでしたが、素晴らしい龍笛の演奏をご披露くださいました。 (まさか、それから2か月半で旅立たれるとは夢にも思いませんでした。)

 

 

秀樹氏の「天女のように気高くやさしい人でした」とのお言葉。まさに、その通りだと思いました。懐かしい曲をつぎからつぎへと演奏され、私は式がはじまってから終わるまで涙が止まらずぐったり疲れてしまいました。終わってから友人たちと雅美さんのことを話すうちにだんだん落ち着きましたが、ほんとうに残念で残念でさびしくてたまりませんでした。

 

雅美さんも私も若いころはたくさん食べました。お蕎麦屋さんでは一つでは足りず、二人とも当然のように二種類注文しましたっけ・・・。

 

雅美さんも私も足が大きく、なかなか思うような靴がありません。いつでしたか、彼女が履いている靴を欲しがったら「あったわよ~、送るわね~」と送ってくださいました。

ところが私には少し小さく、仕方なく自由が丘駅近くの靴屋さんまで取り換えに行ったことなど、ぼんやり思い出されました・・。

 

雅美さんは化粧品会社の海外部門をご担当されていました。ご出張で海外に行かれることも多く、あるとき上品で美しい箱を手渡されました。「いつもおいしいものをありがとう、パリで買ってきたの。壊れるとつまらないのでずっと手で持ち帰ったの~」と。

いまでこそ日本でも売られていますが「ラデュレ」の「マカロン」がぎっしり入っていました。なんという美しさ、食べたことがない味の組み合わせ、香り、繊細な舌触り、おかげでそれ以来すっかりファンになりました。

 

メールやお手紙のさいごには「ごきげんよう」、「お元気でお過ごしあそばれますように」とか、ほんとうに「美しい日本語」を使われた方でした。

 

秀樹氏のお話によると、「余命宣告を受けてから、やりたいことを片っ端からやっていました。弓道を始めたり、亡くなる少し前まで木彫りでちいさな仏像を作ったり、会社の仕事もやりながら精一杯生き切り、むしろ清々しい旅立ちでした・・」と。

 

お母さまに「わらび餅」をお渡ししたら「あら、雅美が好きだったあれね~、懐かしいわ~」と、喜んでくださったことが私にとってせめてもの慰めになりました。