今までの歩み ⑭  ラストフライト?!28 歳の決断  二者択一 | 世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員 ~パラレルキャリアでアラフィフでもやりたいことは全部やる!モットーにフランス田舎から発信~

世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員 ~パラレルキャリアでアラフィフでもやりたいことは全部やる!モットーにフランス田舎から発信~

転職5回 解雇2回を経験。30代で海外就職するまでの長い道のり。ママになっても、アラフィフでも、『やりたいことは全部やる!』モットーに、チャレンジ現在進行形!ポジテイブエイジングを意識しながら、気取らないフランスの日常・子育て奮闘を綴ってます。

「年内でリストラをおこないます。

もしくは今月末までに早期退職すれば

ボーナスを支給します。」

 


 インターンシッップの仕事、

 

前回の話をまだ読んでない方は..

今までの歩み ⑬フランスで働きたい!

 

南仏でホテルを所有する

オ-ナ-とニュ-ヨ-クで面接して、

何とかOKサインがでて、

ビザがおりるのを、

秒読みして楽しみにしていました。

 

 

が、

 

 

やはり、外国人がフランスで仕事をするのに

難色を示す方針で、なかなかビザの取得が

できません。

 

 

先の予定が読めない日々に、

苛立ちを感じている頃、

そんな衝撃的な発表が

ありました。


 

LCLの参入、燃料の値上がり、など

航空会社を取り巻く環境は

年々厳しくなっていました。

 

 

私の勤めるアメリカの会社も、

今まであった

フライト手当、

交通費の支給の減額。

会社はコストを抑えるため

必死でした。


 

私が入社したときは、

機内に1名しか乗務しない日本人を

2名にするという大量採用。


 

お客様のサ-ビスを

良くする会社の方針も、

厳しい環境の中、

3年後にはリストラを

余儀なくされました。


 

この仕事を続けるか、

どうしよう・・

インターンシップでフランスに

住み、働きたいと思い

長い間かけて準備していた私は、

 

 

迷っている暇なく、

真剣に、

将来の道を選択しなければならない

人生の岐路に立たされていました。


 

というのも、


 

早期退職の希望者がいなければ、

入社歴の一番若い人から

順番に15名リストラする!

とのことでした。

 

 

その時の私の順番は、

下から13番目だったのです。


 

同じ同期でも、

研修を受けた時期が早い

クラス1-3の同期は安泰。

 

クラス4の私たちの中でも、

生年月日で年上の人から順番に

社歴がついていたのです。


 

同じ同期なのに、

この15名にはいるか、はいらないか、


 

会社内で雰囲気は最悪となっていました。

同期の中での、

この15名のライン。

クラス4の中で引かれた

太いライン、大きな壁。


 

不公平だ!と思っても

会社の決断。

 

 

年齢の差。たまたま

研修時期が早かった人は

難を逃れたのです。


 

人生というのは、

ほんの一瞬の違いで

大きく道をかえてしまうものです。


 

もしかしたら、先輩方で

辞める方が数名いれば、

リストラを免れるかもしれない。


 

でも、


 

リストラになれば、

ボ-ナス支給はなしで

仕事を失います。

 

 

一人暮らしの私にとっては、

このボ-ナスも

将来のプランをたてるのには

大事なものでした。



 

会社としては、

少しでも、

強制退職は免れたかったのでしょうが、

結構ひどい提案です。



 

どうせ、数か月後、

年内でリストラされるのであれば、

 

 

「 少しでもボ-ナスをもらって

辞めた方がいい!! 」


 

そうすれば、

 

 

将来の 「海外に行きたい!!」

という夢に向かって、

そのお金が安心材料になる。


 

大いに悩んだ挙句、

私が決断した選択でした。



 

そして、あっという間に、

8月末のラストフライトを迎えるのでした。


 

最後のラストフライトは、

同期でも仲良くしているSちゃんとの

ハワイラストフライトです。


 

いずれは辞めようとは思っていましたが、

いざ、その時がくると、

不思議な、複雑な

何とも言えない気分。

 

 

もう、乗務することはないのか・・・

なんだか寂しい気分と、

将来に向かう希望、

そして、将来の見えない不安。


 

パイロットが、英語で

今日で最後のフライトで退職する

日本人乗務員が乗務しております.....

とアナウンスを始めました。

 

 

何だか、ジ-ン とするアナウンスが機内に

響き渡ります。


 

そんな、マニュアルにない

アナウンスを同期のSちゃんは

綺麗な日本語に咄嗟に

訳してくれます。


 

機内では、お客様からは、

お疲れ様の拍手喝采を浴びたのでした。


 

そして、最後は


 

タラップを降りて

飛行機をバックに記念撮影。


 

そうしていううちに、

アメリカ人機長たちに

 

 

ふわっと持ち上げられたのです。


 

なんと、機体のエンジン部分

に私を持ち上げて座らせたのです。


 

意外と高さのある

エンジン部分の端に座り、

 

機長3名と、同期のSちゃんとの

記念撮影。


 

今でも忘れられない思い出です。

 

 

そうして、98年4月からのフライト生活を

はじめ、2001年8月31日のラストフライト。

約三年のフライト生活に終止符を打つのでした。


 

そして、その2週間後、

2001年9月11日

アメリカの同時多発テロ事件、

乗務している私たちにとっては、

衝撃的な、信じられない、

飛行機がそのままビルにつっこむ

何とも恐ろしいテロ事件が起きるのでした。

 

 

 

次のエピソード

今までの歩み ⑮ 機内通訳から学生に....

 

 

 

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