7/16(火)

 

FODで野沢尚脚本「氷の世界」を毎日観るが、とにかく「101回目のプロポーズ」や「素顔のままで」、「素晴らしきかな人生」の目くるめくノリノリ演出で精彩を放った光野光夫の仕事が99年にここまではっきりと「ダサい」ものに成り下がっているのにある種の哀愁を感じる。話が進むほどに野沢さんらしい愛を巡る究極的な問いが見えてくるのだが、登場人物たちがそのための駒めいて見えてしまうのが大変辛い。あと、90年代のフジのドラマは全般的にSEの貧弱さが耳に余るときがある。92年の「素晴らしきかな人生」の佐藤浩市が織田裕二だか田中健かをぶん殴るときの、コントみたいにド派手な音とか、94年「この世の果て」のどんな扉も開閉の音が一緒なのには、「まあこの頃はこんな感じでよかったのかな…」と思っていたけど、99年にもなった「氷の世界」の人が刺されるときや、鈍器で殴られる時の記号的な音は…。

 

中古VHSをバカ高い金だして買い揃えたVHSで成美さん主演、岡田惠和脚本連ドラ「ドク」を観る。香取慎吾がベトナム人を演じ成美さんと恋に落ちるという設定だけを問題視してこのドラマは現在の価値観で無かったことにしてはならない!と全編涙しながら強く思う。本作の成美さんは、ある意味「素顔のままで」の頃に戻ったかのような瑞々しさで、慣れない子育ての苦労の中にも生きる喜びを見出していただろう充実した私生活を想像させられ、それも感動的なのだけど、香取くん演じるベトナム人ドクや、菅野美穂演じる内気な中国人女性、成美さんの幼馴染の椎名桔平などキャストがみな素晴らしく魅了される。「日本人が外国人を演じる」という点に「テレビドラマ」というメディアの限界を感じさせられたとしても、「絶対にカルカチュアしてるように見えてはならない」という送り手の確固たる姿勢は明らかだし、ここで扱われる日本で生きる外国人が受ける理不尽な差別や不平等、価値観の違いから生まれる人種間の葛藤は、まったくきれいごとに回収されない。これを見て「差別的だ」と反感を持つ人は少ないと思う(実はYouTubeに全話上がっているのだが、上げているのはベトナム系の人のようだし、コメント欄にもベトナム語が多く、翻訳アプリで軽く見た感じ、好意的なものが並んでいるように思う。「日本に行くのが怖くなりました」みたいな意見もあったけど)。

また、本作はヒロインが30歳を迎えるタイミングが放映当時の成美さんと重なる、という粋な設定になっていて、実生活で結婚直前だった彼女がマリッジブルーに襲われる女性を演じた「ローマの休日」や、新婚ほやほやの絶頂期にその陰画のような凄絶な家庭劇を演じた「この愛に生きて」など共に彼女の実生活を反映したセミドキュメンタリー的な側面もある。

また岡田惠和脚本という視点で見るなら、本作の社会人野球から離脱して新入社員よりもひよっことしてこき使われ、プライドを蹂躙される椎名桔平のキャラクターは、3年後の「彼女たちの時代」でほぼそのまま登場するが、しかしより過酷な人生の試練に直面することになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

7/13(土)

 

8:56に池袋金太郎を「チェックアウト」して、横浜の放送ライブラリーへ。電車の中で井筒和幸「あの娘をペットにしたくって」読む。この本、今からでも復刊してほしい名著だと思う。これほどリリカルに誠実に、うんざりとした等身大の青春の延長線上に映画への夢を語れるところに、井筒さんの作品の秘かな美しさがあるのだと思う。映画美学校に通っていたころ、講師の高橋洋さん(『東方見聞録』のシナリオに参加していた)が「TVに出ているときの井筒さんは演技です。本当の井筒さんは本当に繊細で優しい人です…」と語っていたのを思い出す。発行が86年で『犬死にせしもの』のタイミングなので、広義の意味では安田成美関連本といえる(文中、成美さんに対する言及はないが)。

 

放送ライブラリーで、成美さん主演「ラベンダーの風吹く丘」(89年11月放映NHK)観る。子どもが行方不明になったホステス(成美さん)は、自分の子どもと連れ立って写真に写っていた高所恐怖症の鳶職の中年男(イッセー尾形)をどこまでも追いかけながら北へ北へと旅を続ける。二人が最後にたどり着くラベンダー畑には、急死した成美さんの子どもが葬られていた…。

本作を「安田成美史」的に極めて重要作だと感じるのは、成美さんがその後反復することになる「子どもを喪失する母親」を演じたおそらく最初の作品だからである。脚本は矢島正雄だが、男女が子どもの喪失を要にして結ばれる展開に野沢尚と共通する感性を感じる。しかし基本的にはイッセー尾形と丁々発止のやりとりをする成美さんの芝居が実に小気味よく、観ていてとても幸福であった(同年「同・級・生」における「言いたいこと」と「言ってしまうこと」がひたすらすれ違って延々ととぐろを巻いていくような屈折した役柄とは異なる芝居の質に、当時の彼女が求められていた演技の幅を感じる)。イッセー尾形の女性差別的な言動は不快だが、それが高所恐怖症になってしまったかつては凄腕で鳴らした鳶職という彼の悲しい強迫観念のような「男性性」を表しており、それが「かつて父親もわからない子どもを捨てようとしてしまった」成美さんの根無し草のような存在の悲しみと決して遠いものではないことが最終的に示される。刑務所の前でふたり静かに寄り添う終幕が美しい。当時月刊「ドラマ」の掲載されたらしいシナリオもぜひ読みたいものだ。

観終わって、すぐに電車で上野へ行く。初めて行く東京文化会館でペヤンヌ・マキ「木のこと」を観劇。この舞台、上演を知ったのが二日前で、ペヤンヌさんの舞台がみられることより、「南果歩が主演する舞台のチケットがたったの3300円」という事態に衝撃を受け、本来は放送ライブラリーにずっといる予定を切り上げて見に来たしだい。舞台自体70分ほどの短いもので、ペヤンヌさんの『〇月〇日区長になる女』で焦点となった長年その土地に生きる人々の心の寄りどこりになっていた樹木の歴史と、その伐採に反対する人々の声をファンタジックな寓話として描いた主に子どもに向けた作品(実際、前方の席は子ども専用席)。生のオーケストラの演奏とフィジカルアートと演劇が融合した実験的な作りゆえに、ついていけないところも多かったのだが、とにかく幼女から老婆までパワフルに歌って踊って表現する南果歩の底抜けのパワーに「なんだかよくわからないがいいものを見た」と思わせられる。

 

 

↑「南 果歩 受付」その言葉のインパクトに思わず写真を撮ってしまったが、単に南果歩さんが友人知人にリザーブしていたチケットの受取所だったみたい。

 

 

終わって、池袋。往来座でのむみちさんに「一人の俳優について調べるとはどういうことか」ご相談。佐藤忠男「テレビの思想」を1200円で。

 

18:15長距離バスで長野に帰る。

 

7/12(金)


6:50佐久インター南のバスに乗る。バスの中で松本清張「昭和史発掘」読もうとするも、なにしろこの日まで8連勤してきたものだから疲れが溜まっていて、ほとんど3時間寝てしまう。

池袋着いてから神保町。からあげ定食屋で食事して時間潰してから11:00過ぎに神保町シアターに行ってチケットとる。矢口書店に行って、「ドラマ」の棚の成美さん関係、山田太一関係のシナリオが載ってるものを漁る。あと@ワンダーでこの日まで存在も知らなかった井筒和幸「あの娘をペットにしたくって」という86年刊のメモワールを440円で購入。

薄暗いサンクルカフェで読み耽る。井筒さんのリリカルな文体、すごい良い。


14:15神保町シアターで杉田成道「ラストソング」観る。基本的にここ何週間も家のモニターでテレビドラマばかり観ていたこともあり、スクリーンに映し出される濃厚な映画の「画」に圧倒された。そしてロックで天下をとろうとする男たちを見守る女性、という役割に収まらない成美さんの凛とした実存感。ラストシーンですっくと一人で立ち上がり、歩き去る彼女の力強い足取りは、この作品の公開2ヶ月後に放映開始される「この愛に生きて」の盛田曙美役を予告するものだ。脚本の野沢さんはやはり成美さんの最高の理解者のひとりだった。あの声がナレーション形式で劇場に響いている、それだけで胸がいっぱいになって涙が出てくる。

ついでに言えばモックンの変態ぶりもヤバすぎで、フルチンになり過ぎで、「誰か新婚の成美さんからこのど変態を引き離してくれ…」と思わず念じてしまった。初めから終わりまで、本当に見どころしかない。


終わって、新宿に移動。ユニオンを周る。


18:20K'sシネマでいまおかしんじ『愛のぬくもり』観る。ひょんな拍子に男女の心と体が入れ替わる。もはやベタ中のベタな設定をこんなふうに掘り下げることでここまで新鮮なドラマが生まれ得るのだ!という驚き。映画自体も感動的だが、まずはこの設定のドラマを「驚ける」という事態そのものに感動してしまう。東京から離れてから、いまおかさんの映画を封切りで観る連続記録は途絶えてしまったけれど、やっぱりいまおかさんの作品を同時代に観られることは、幸福なことなのだと再認識した。

ロビーでいまおかさんに「良かったです」と伝えているうちにまたこみあげてきてしまい、慌てた。

終わって、池袋へ。千浦さんと待ち合わせてマクドナルドで人生相談に乗ってもらう。


西口の金太郎に宿泊。





7/5(金)

 

午前中、「同・級・生」最終13話観る。このドラマ、最後の最後まで成美さんと菊池桃子の間をフラフラしてる緒形直人のことが本当に嫌いになってしまい、こんな奴とよりを戻すくらいなら(たとえそれが石田純一であっても)別の人と成美さんが結婚してほしい、と強く念じた。腹が立つからそのたんびに一時停止してジョギングして気を散らしたりしていた。けれど、成美さんと緒形直人が再び結ばれた後「本当に別れる」決断をする終盤にはとても胸打たれた。カップルが結ばれるまでではなく「ちゃんと別れる」というプロセスを描いたラブコメの隠れた名作『セレステ∞ジェシー』を連想する。

成美さんのエッセイを読むと、あるきっかけで女優という自分の仕事に自覚的になったのは23歳頃だと書かれている。このドラマの撮影・放映自体はそれよりやや早いものだが、この作品の彼女の芝居の質は(断片的に見れる範囲の推測ではあるが)、それ以前の「親子ジグザグ」や「親子ウォーズ」といった「懐かしい」感じのドラマとは決定的に異なる現代性を湛えている(映像の質はあんまかわんないのだが)。坂元裕二という若き俊英が引っ張ることでテレビドラマの質が変わりだしていた。そのタイミングの渦中で、安田成美という才能もまた真に生まれなおしていたのだと思う。

 

 

7/2(火)

 

午前中、「この愛に生きて」1~3話をボロボロ泣きながら観る。このドラマを何度も観て、文字に起こしたところで、本当にはこの作品に近づけない。どうしたらいいのか、考える。

 

午後、髪の毛を切りに行くついでにサイゼリアでワイン飲みながら松本清張短編集読む。「地方紙を読む女」「真贋の森」の人生に倦んだ犯罪者の生活感溢れる描写、たまらん。

 

帰りにゲオに寄る。レンタル落ちでNHKドラマ版「64」のDVD全巻を700円で購入。

 

 

7/3(水)

 

早朝に起きて上田へ。上田映劇で細野晴臣さんのドキュメンタリー『NO SMOKING』『SAYONARA AMERICA 』観る。実は6/30に細野さんは上田映劇に来てトークショーとミニライブを行っており、それに行けなかったのは本当に痛恨だったと思うが、この二本がスクリーンで観られて本当に良かった。細野さんの音楽が大好きだ。しかし、コロナ直前2019年がこんなに昔のことに思えるとは。

 

 

帰って、「彼女たちの時代」の第10話、「同・級・生」第10話、そして「この愛に生きて」第4話~第6話観る。ここからどんどん辛い展開になるのを知っているので、思わず酒飲んで見て、気持ち悪くなってしまう。よくないことをした。

 

7/1(月)

 

午前中、DMMで借りたDVDで井筒和幸『ヒーローショー』観る。公開時に見逃してそのままになっていたが、心の底から感嘆する。吉本が製作にがっつり入った、若手お笑い芸人主演の映画でここまで妥協なく硬派な仕事を実現させるしたたかさ。井筒さんは本当の作家だ。これほど「30万円」という、人によったら何でもない額によって人間が殺し、殺されていくことのリアリティを切実に描いた日本映画がかつてあっただろうか。同じ2010年北野武『アウトレイジ』と双璧をなしながら、ある意味遥かに意欲作であり、14年後も夢の見られない状況の中で生きる「私たち」の映画である。

 

観終わって、DVDをポストに投函しつつお金をおろす。上記のような感想をもちながら、考えてみれば今月私が「この世界に散在する安田成美のイマージュを救うために」ひたすらメルカリやヤフオクで「安田成美」と検索して落とし続けた額(通称「安田成美代」)は、その延長線上にある新しいパソコン購入代金も足せば『ヒーローショー』で若者たちが払えずに奪い、落としていった命の値段を遥かに上回る。ちょっと感傷的な想いに浸りながら、カード引き落とし口座にお金を振り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6/29(土)

 

仕事後、帰宅して19:00からの安田成美さんナレーション「地球ドラマチック」をしっかり鑑賞して、DMMで借りていたDVDですずきじゅんいち『マリリンに逢いたい』観る。

基本的に犬がかわいい、で済む話なのだが、都会で夢破れ、田舎の沖縄で民宿を始める加藤雅也と、借金取りに追われて半ば強引に民宿を手伝う三浦友和の相克は生々しく、そこに泊まる最初で最後の客役が成美さん。で、注目すべきは彼女がカメラマンの夢をあきらめて結婚直前にひとり沖縄に旅行に来たという設定。彼女が同世代の「普通の」逡巡する女性を演じたのは、映画ではこれが最初だろうし、その芝居の質は翌年の「同・級・生」の繊細な仕事を予告するものだ(ちなみに、まだ本人が決心していない状態のまま相手が勝手に結婚を進めてしまっている、という設定は「同・級・生」の彼女と石田純一の関係にも影響を与えているのかも)。脚本の野沢尚のエッセイを読むと、まだ若手だったこの当時から脚本が物足らないところがあるとハッキリと言う女優だったということだが、成美さんのエッセイを読むとまだ当時実は女優という仕事に積極的に取り組んではいなかったとも語っているので、彼女にとってもこの役は特別期するものがあったのではないだろうか。ただ、実際に結婚直前だった彼女がマリッジブルーに苦しむ女性を演じた93年「ローマの休日」の田村正和を誘惑する場面に匹敵するリアリティは、まだこの作品にはなく、本土での結婚を捨てて加藤雅也の元に戻る展開も予定調和な印象にとどまる。

6/24(月)

 

一念発起して新しいパソコンを購入するために午前中佐久のヤマダ電機へ。20万円を超える出費を自費でするのは、初めてだと思う。しかも全部ペイペイで一瞬で払ってしまう。テンション上がって吐きそう。

 



帰りに佐久のブックオフへ。「木梨憲武自伝」を1700円で。成美さんのエッセイ集は、どんなに中古で買う方が安くても意地でも新品を買ったのだが…。ごめんねノリさんと謝りながらレジへもっていく。

 

帰っても吐きそうなくらいのテンションが下がらないので、自転車で小諸の図書館へ。宮部みゆき編集の松本清張短編集を借りる。

 

帰宅して、FODでYMOのアメリカツアーのライブ映像を観る。貴重な映像なのだが、なにぶん当時のフジテレビで放映した番組なので音が悪すぎる。ちょっとウトウト。

 

坂元裕二「同・級・生」4話目を観る。このドラマ、画面から音楽から頭痛いくらいにあふれ出るバブリーなトレンディ感ゆえ「これはいくら成美さんが出ていても全然僕の人生と関係ないのでは…!」と最初こそ思っていたのだけど、気持ちと実際に口から出る言葉がすれ違ってしまう成美さんの切なさに毎回涙。とにかく、これが連ドラデビュー作の坂元裕二の書く会話のうまさが際立ってる。例えばこの回の冒頭、「今度私を見かけても声をかけないで!」と緒形直人と別れ話をしていた成美さんが、二転三転する会話の流れで「明日電話かけていい?」と訊かれて「いいよ!」と笑顔で答えてしまう。論理的に飛躍しているけど、確かに生きた会話とはこのようなものかもしれない…と実感させるセンス。のちに『101回目のプロポーズ』や『素顔のままで』のカメラぶん回しノリノリ演出で時代を席巻する光野道夫の演出もまだ抑制が効いており、成美さんや山口智子、中井美穂がじゃれあう舞台劇的な場面など、緻密なリハーサルをやってる感触がある。ちなみに成美さんが住んでいるアパートとして使われているのが、しまおまほさんも住んでいた世田谷の旧尾崎テオドラ邸で、最近実際に行ったからうれしい。

 

 

岡田惠和「彼女たちの時代」も観始める。岡田惠和の近作「日曜の夜ぐらいは…」の今日的な優しさとかなりのコントラストの熾烈な「男性社会」描写のドギツサにはかなりショックを受ける。明らかに17年前の山田太一「想い出づくり。」の90年代版として製作されていながら、仕事をする女性に対する男性のまなざしに、大きな進歩は見られない(しかし24年後の「日曜の夜ぐらいは…」においては「男性社会」すらほとんどまともに機能しておらず、女性主人公たちも恋愛に特に期待をかけていたりしないのが興味深い)「男性社会」に阻害されているのは女性ばかりではないことを示す、追い詰められていく椎名桔平。彼と話すことで初めて救われる中山忍の不器用な生き様。

 

 

 

6/22(土)


ほぼ毎日一話ずつ観ていた野沢尚「青い鳥」「素晴らしきかな人生」を見終わる。「青い鳥」はテレビドラマの可能性を押し広げた作品であると同時に、限界も見せてしまった作品でもあり、これ自体が非常に貴重な試みだと思う。

「素晴らしきかな人生」は、終盤の富田靖子の心霊描写に瞠目。おそらく、これほど明確に他者の人生に呪いをかけるために自殺する人間の執念を映像化し得た作品はないのではないかと思う。「私は負けて死ぬんじゃない。あなたと戦うために死ぬの」。

「青い鳥」で提示される「生き続けることの尊さ」より、積極的に死を選ぶ人物の方が強烈なインパクトをもってしまう野沢尚の作家性、人生観(思えば、野沢尚が書いた『その男、凶暴につき』シナリオの結末もまたロシアンルーレットによる自死であった)。

「素晴しきかな人生」の最後で浅野温子が口にする「私を幸せにしてね」は、「101回目のプロポーズ」のハッピーエンドへの強烈な皮肉でもある(どちらも演出してるのは光野道夫だが)。

あとこれがデビュー作のともさかりえの、人の話を聞いている時のひたむきな表情が素晴らしい。前作「親愛なる者へ」も素晴らしいし大好きだけど、浅野ゆう子と柳葉敏郎が主演でなければならない必然性は実は薄いとも感じさせられる作品だったのだが、本作は浅野温子にしろともさかりえにしろ富田靖子にしろ、これが生涯のベストアクトなのではと思わせもする佐藤浩市、終始気持ち悪い織田裕二にしろ、誰にも代え難い唯一無二性を湛えている。

野沢さんの作家性に答える形で映像化する側も進化していた。この流れで翌年の『この愛に生きて』が生まれたのだ。




6/17(月)

 

10:00までにチェックアウトすればいいのに、早朝に起きてしまう。8:30から新宿ピカデリーで黒沢清『蛇の道』を観ることに。

個人的には、すごく面白かった。高橋さんの教え子でありながら、実はあんまりオリジナル『蛇の道』に思い入れがないため、先入観なく観られたのかも。あと柴咲コウが本当によかった。哀川翔ももちろん好きだけど、この悪夢のように終わらない復讐、という物語には彼女の立ち居振る舞いの冷徹な美しさの方が相応しい。『ダゲレオタイプの女』にはややがっかりさせられたが、これは本当に本領発揮。黒沢さんの今後の海外展開に期待。


新宿のユニオン周る。越美晴「おもちゃ箱 第一幕」、成美さんの「全曲集」LP買う。

 

本来であれば今日も放送ライブラリーに行きたいのだが、月曜休みなので仕方ない。帰りのバスを早めて早く帰ろうかな、と思いつつ惰性で吉祥寺に行く。防波堤で近藤正高「ビートたけしと北野武」250円で買う。ユニオン行く。何も買わず。百年行く。何も買わず。

 

中野のまんだらけに行く。活動写真館で倉本聰「あにき」写真付きシナリオ集を400円で。あと、文芸書コーナーの100円棚で「悲しい色やねん」「会社物語」所収「シナリオ」89年1月号、「文学賞殺人事件 大いなる助走」「キスより簡単」所収「シナリオ」89年2月号、「ザジ ZAZIE」「べっぴんの町」所収「シナリオ」89年11月号、「キッチン」所収「シナリオ」89年12月号購入。

 

池袋に行く。ユニオン行く。何も買わず。ブックオフ行く。何も買わず。ヤマダ電機でブルーレイレコーダーのコーナーを見学しつつ18:50池袋発のバスで長野に帰る。

 

 

6/18(火)

 

午後出勤だったのだが、東京と横浜を往復していた三日間の疲れが急に出て、強烈な疲労感に体が侵される。しんどい。

しかも、帰ってきても全然寝れず。

 

6/19(水)

 

一睡もできないまま早朝に出勤。完全に死んだまま、しかも責任ある仕事をする。

何とか義務は果たして、タイムカードを切って帰宅。このままだと完徹二日目になりそうな予感がしたので、帰宅して1時間ジョギング。「青い鳥」と「素晴らしきかな人生」の続きを見て無理やり寝る。