「阪神電車唱歌」梅田・佃間の歌詞の考察(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

いよいよ、*「阪神電車唱歌」の梅田・佃間の歌詞を掲げます。
 *「阪神電車唱歌」:大和田建樹作歌/田村虎蔵先生作曲
                     1909(明治42)年4月5日、市田元蔵発行、

まず一番、梅田です。
写真図 『阪神電車唱歌』歌詞一番
    大阪市立中央図書館所蔵
    撮影および翻刻等許可済み

◆一、大阪城の松よりも
   栄えは尽ぬ大阪市
   めぐる電車を乗りかへて
   出で立つ梅田の停留場

阪神本線の始発駅が「出入橋」から「梅田」まで
延長されたのは*地名辞典には
「*大正3(1914)年6月」とありますが、
*記念誌には
「まず出入橋から仮線で梅田へ」を
「*明治39(1906).12.21」と記しています。
  *地名辞典:『角川日本地名大辞典 27大阪府』1978年
    *記念誌:『輸送奉仕の五十年』1955年、阪神電気鉄道(株)

整合性を採れば明治39(1906)12月21日の
仮線を敷いての「梅田の停留場」でしょうか?
脚注の「電車停留所名及附近の名所」には
「梅田」とだけ記されていて名所は記されていません。

「阪神電車 四季の眺め」に「梅田」は ありません。
「阪神名所地理唱歌」の出だしは如何でしょうか?
◆摂津の国の両都会 大阪神戸ひとすぢに
 結びつらねしまがね路は 
 阪神電車と名にし負ふ。
 そも浪華津の繁栄を 
 こゝに集むる出入橋

「地理唱歌」にも「梅田」はありません。
「梅田」の記載が無いのは、
前回、「期待はずれの地理唱歌」の記事から
出入橋停留場には、構内売店があっても、
仮線敷設以前の梅田には
停留所すら無かったと推測します。

1909(明治42)年4月5日、市田元蔵発行の
『阪神電車唱歌』の歌詞は、ひときわ映えています。
梅田の歌詞の脚注に名所の記載が無いぶん
歌詞に「大阪城の松」を歌い込み
「電車を乗りかへて
 出で立つ梅田の停留場」とは
苦肉の策と窺えます。

乗り換えた「電車」に注目します。
*ウィキペディア「電車唱歌」には
次の記事がみえます。
 *ウィキペディア「電車唱歌」:ja.wikipedia.org/wiki/電車唱歌
     最終更新 2017年10月1日 (日) 07:10 
          
◆(上略)「大阪市街電車唱歌」 - 1908年7月発表(中略)
 発表された3ヶ月後の12月28日に南北線の
 梅田停車場前 - 大江橋間が延伸開業した事に伴い
 歌詞が一部変更されている。
 歌詞変更以前は全20番であった。
 作詞者:大和田建樹(鉄道唱歌の作詞者)、
 作曲者:田村虎蔵(前述)
 1.春咲く花の梅田より
  乗り出す電車心地よく
  曽根崎新地打ち過ぎて 
  行くや堂島中の島

「阪神電車唱歌」の梅田停留場付近は、
「春咲く花」なのでしょうか?
梅を挙げているものの、
菅公ゆかりにも触れていません。
作詞者のこの地についての知識からすれば
この地に名所を見出せなかったの?

それとも????
 

「阪神電車唱歌」が謳う

「名所」の切り口が

見えてきそうです。


究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登