「阪神電車唱歌」梅田・佃間の歌詞の考察(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

本シリーズも、いよいよ
阪神本線も福島駅にさしかかります。

写真図  『阪神電車唱歌』歌詞二番
    大阪市立中央図書館所蔵
    撮影および翻刻等許可済み

歌詞は、以下のとおりです。
◆二、賑ふ旅客の出入橋
   過ぎて波風福島は
   義経平家を討たんとて

      船揃せし港の地

「梅田の次は、福島?」おっとっと、
その前に「出入橋」です。
前々回《「阪神電車唱歌」梅田・佃間の歌詞の考察(1)》では、
*記念誌に掲載された
「大阪毎日」の明治38(1905)年4月11日付
「阪神電気鉄道開業/明12日より」の
新聞広告記事を取り上げました。

 

「神戸行きは!!!
 出入橋待合所を12分毎に発車」とあります。
    *記念誌:『輸送奉仕の五十年』1955年、阪神電気鉄道(株)

懸案の「唱歌」には「賑ふ旅客の出入橋」と謳ってます。
脚注の「電車停留所名及附近の名所」には
「出入橋」とだけ記されていて名所は記されていません。

「四季の眺め」は如何でしょうか?
残念ながら「出入橋」は見当たりません。
出入橋なら、ほんの東に「編み笠茶屋」なんぞの
遊所もありましたが、
健全を売りにする宣伝歌謡としては、
差し控えたのでしょうか?

「阪神名所地理唱歌」では、出入橋は謳われています。
◆摂津の国の両都会 大阪神戸ひとすぢに

 結びつらねしまがね路は 阪神電車と名にし負ふ。
 そも浪華津の繁栄を こゝに集むる出入橋

「浪華津の繁栄を こゝに集むる出入橋」と。
そもそも出入橋は、
*「大阪之圖」明治12(1879)年、藤井光栄堂には、
「ステンション」から堂島を突き抜ける堀川の堂島に
さしかかる直前(北方)で東西に架かる橋に
「デイリバシ」と見える。
   *「大阪之圖」:日文研所蔵地図「大阪之圖1879」
                   http://ndb1.nichibun.ac.jp/tois/chizu/santoshi_1199.html
この北から南に流れる堀川は、
「天保新改攝州大阪全圖 1837」(天保8年版)、
「大阪圖 1872」(明治5年刊)には見えません。
この堀川は往時の水運の集積する堂島、中之島と
近代の陸運の拠点「梅田ステンショ」を繋ぐために

開削された水路なのです。
この水路を跨ぐのが出入橋です。
「阪神名所地理唱歌」に「浪華津の繁栄」を謳う謂です。

この度の阪神電車開通によって
貨物ならぬ旅客を摂津の西の都会たる神戸方面への
輸送に賑わう停留場として
「阪神電車唱歌」作詞者は歌い込んでいます。

ようやく「福島」です。
宣伝文句の考察も
いよいよヤマ場が迫ってきました。

究会代表

『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登