「阪神電車唱歌」梅田・佃間の歌詞の考察(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

年末年始、部屋の整理をしていた折、
『輸送奉仕の五十年』1955年、阪神電気鉄道(株)を
掘り出しました。
この記念誌には
「大阪毎日」の*明治38(1905)年4月11日付に
「阪神電気鉄道開業/明12日より」の
新聞広告の写真が掲載されています。

さらに同誌には、
「鉄道唱歌」の阪神電車版というべき
「阪神電車唱歌」ばかりか、
この唱歌と関連する歌謡の歌詞が
掲載されています。

「鉄道唱歌」を*『広辞苑』には
次のとおり記述されています。
  *『広辞苑』:新村出編2008年
       『広辞苑第6版』岩波書店

◆唱歌集。大和田建樹作詞、
 多梅稚・上真行ほか作曲。
 駅名と沿線の風物をうたう。
 1900年(明治33)刊。
 第1集東海道、第2集山陽・九州、
 第3集奥州・磐城、第4集北陸、第5集関西・参宮・南海。
 「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり…」の歌詞が
 広く親しまれ、類似のものが続出。

「阪神電車唱歌」には、「駅名と沿線の風物」が歌い込まれ
「鉄道唱歌」の「類似のもの」に違いありません。

大阪市立中央図書館に
冊子『阪神電車唱歌』が所蔵されていました。
以下の写真は、撮影および翻刻等許可を得て掲載します。
写真図   『阪神電車唱歌』表紙

「大和田建樹先生作歌」「田村虎蔵先生作曲」とあり、
作詞者が「大和田建樹」であるところから
一連の「鉄道唱歌」の一つです。
奥付には、
発行日を「明治四十二(*1909)年四月五日」、
発行者を「市田元蔵」、
発売元を「田中青柳堂/阪江文港堂/市田昇文館」と
記しています。
発売元はいずれも大阪市内の本屋です。

この『阪神電車唱歌』に対し、
「宣伝歌謡二篇」については、同誌所載
*松浦充実「海水浴場のはじまりは打出」の
「付 宣伝歌謡二篇」に次の記事があります。
 *松浦充実:阪神開業前後の
  明治36(1903)~40(1907)年までは重役付として在社。
◆その頃友人と合作した沿線紹介のための端唄と唱歌を、
 これも思い出のしおりとして付記させていただこう。

まず、端唄作曲の経緯が綴られています。
◆愛唱された「ウゴキマース」 
 停留場を発車する間際には必ず車掌に
 “ウゴキマース”と掛声させてチンチンと合図の紐をひかせた。(中略)
 ・・・・これがよほど面白かったと見え、
 一時は沿線の子供から大人まで口まねするようになった。
 そこでこの際端唄でも作ったら宣伝にでもなるであろうと、
 大毎文芸部にいた知友の香川蓬洲氏と頭をひねって、
 次のような歌詞をつづった。

この端唄は、よく流行り芸者なども客席で謡ったと同誌にあります。
時は「鉄道唱歌」第1集東海道篇発売5年後、
「阪神電車唱歌」発売4年前です。

その歌詞「阪神電車 四季の眺め」の「春」に
「野田」「淀川」「つくだ」が
歌い込まれていますが、
これは後回しにして、
次回は、もう一つの「宣伝歌謡」である
「阪神名所地理歌」作曲の経緯を取り上げます。

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登