「煙」を謳う小学校校歌(5) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回、1929(昭和4)年制定「黒煙空をおおいて」を
謳う校歌を取り上げますと予告しました。
その学校は、大阪市立済美小学校です。
*「大阪市立済美小学校跡地の紹介ページ」によりますと、
この学校は平成16(2004)年、
生徒数の減少に伴い北天満小学校と統合し、
閉校したとあります。
   *「大阪市立済美小学校跡地の紹介ページ」:
   http://bb-building.net/tatemono/osaka/1051.html

15年後の今、思えば、勿体ない話です。
学校所在地の大阪市北区中崎西といえば
キタの繁華街・梅田の、すぐ東の都心部です。
都心回帰の波が大阪市の中心部と
その周辺に押し寄せています。

そういった場所の学校に
大大阪を標榜する昭和初期に
「黒煙空をおおいて」が謳われていたのです。
以下、*同校40年誌から歌詞を抜粋します。
  *同校40年誌:『創立四十年記念誌』
        大阪市立済美小学校、1959年
 ◆済美小学校校歌/校歌/木枝増一 作詞/幾尾 純 作曲
 一 難波津や名も大淀の/ゆたかなる国のめぐみに(中略)
 二 豊﨑の神のみたまは/新しき御代の鏡と(中略)
 三 黒煙空をおおいて/くろがねの真土とよもし  
  たゆみなく励むなりわい/もろともに腕をきたえて
  力ある人となりなん

三番の歌詞の「黒煙」は「くろけむり」とルビが振られています。
前回、取り上げました大正13(1924)年制定の
榎並小学校校歌同様、
五七調の落ち着いた厳かな調べです。
曲想は難波津、大淀から、ゆたかなる国に及び
近くの神社を歌い込み、
三番で「黒煙空をおおいて/くろがねの真土とよもし」と
歌って盛り上げます。

 

2行目に漢字を宛てれば「鉄の真土響もし」でしょうか?
工業生産に従事すべきつとめを
「少国民」に向かって躍動的に鼓舞するものです。
1929(昭和4)年といった時代相を如実に
反映するものであります。

この歌詞でボクが着目したのは「とよもし」という語です。
ずいぶんと力強い語感です。
おそらくは「豊﨑」の「とよ」から引かれたと推察しますが、
この語は『萬葉集』にすでに見える古典語の
新解釈のようです。

そもそも、作詞者の木枝増一は、

奈良女子高等師範学校教授で
校歌作詞の翌年、1930(昭和5)年に
*『歴代和歌正選』を撰述するの
国文学者でありました。
   *『歴代和歌正選』:木枝増一編、1930年11月13日発行
          『歴代和歌正選』、修文館
その緒言に作詞者の気概を読み取ることができます。
◆一 本書は師範学校及び高等女学校程度の
 国語科副読本として編纂したものであります。
 二 (上略)我が国民が遠く萬葉集の昔から
 平安朝・鎌倉・室町時代を経て徳川の近世に至るまで、
 和歌を通して如何に
 その国民感情を養ひ来つたかといふことを跡づけるのは、
 ひとり文学的鑑賞の立場からばかりでなく、
 世界に比類稀な我が国民性の感情的特質を自覚する上に於いて、
 何よりの捷径であります。

作詞者は

たいへん、高邁な理想を掲げ、
「国民感情」の涵養を旨として
済美小学校の校歌を作詞したと考えます。
鷺洲小学校校歌の「煙は高く空を覆いて」までは、
いま少しの道のりを要します。

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登