浪花ふくしま奇観(6) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨日2018年10月7日(日)、
大阪区民カレッジで
「水辺の怪異伝説」を話すのに
「カッパジマ」の一コマが欲しくて
かつて合羽島と称された堂島の西端を
探って歩きました。

堂島という島は、
北に曾根﨑川、南に堂島川に挟まれた島でした。

 

堂島と云っても下流は福島区です。
「浪花ふくしま奇観」が得られそうです。
初代長谷川貞信の「浪花百景の内」の
「合羽島より東を望む」から見当をつけて
福島区玉川一丁目の路上から
東・かつての曾根﨑川の上流に向けてワンショット。
写真図1 福島区玉川一丁目の路上

なぜこの地点でワンショットか?

道路の先にチラッと
ベージュの建物が見えます。
これは莫大小会館(メリヤス会館)で、
堂島大橋の筋で、かつては堂島小橋が
曾根﨑川に架かって福島と堂島を繋いでました。
わずかに曾根﨑川埋め立て道路の先に
切妻の建物が載った莫大小会館が見えます。

(写真図3に近接撮影)

 

これを前掲の貞信の錦絵と照合します。
写真図2 初代長谷川貞信の「合羽島より東を望む」

大阪市立図書館デジタルアーカイブ

 

錦絵には画面右(南)に中之島。
漆喰の蔵屋敷があって「大川とおり」
遙か遠くに「玉江はし」の表記。
画面中央に「合羽島」。


「合羽島」は、『摂津名所図会大成』では「河童島」として
子どもを淵に引っ張り込んだとかの島です。
画面左(北)の川が曾根﨑川で対岸の福島との間に
架かる「堂嶋小はし」が見えます。
現在の莫大小会館の場所です。

 

莫大小会館の前まで東進しました。
写真図3 莫大小会館前(福島区福島三丁目)

莫大小会館は正面のベージュ色の昭和レトロの建物です。
なぜか福島側に「中之島」を冠する病院が見えます。
堂島に建つガソリンスタンドの左背後に
チラッと中之島の建物が見えます。
蔵屋敷ならぬホテルで、
中之島五丁目のリーガロイヤルホテルです。

 

合羽島を古地図で確認します。
この古地図は、この先の「ほたるまち」南西角の
陶器製の「國寶大阪全図(部分)」(1863年発行)です。
写真図4 「ほたるまち」南西角の「國寶大阪全図(部分)」の合羽島

図面の上に描かれている島が堂島で
下が中之島です。
堂島の左端(西端)に「合羽ジマト云」と表記されています。
懸案の場所はこれで、曾根﨑川と思しき川の上流(右上)には
「堂嶋小バシ」とあり、
堂嶋川の上流には「玉江バシ」が架かっています。
注目すべきは、その手前(左上)に
「新船甼」が表記されています。
合羽島は、舟大工が集住し、
宝暦3(1753)年に新船町となります。
このことは、《堂島めぐり(5)2016-06-16 16:54:49》に
書きました。
  ↓ここをクリック
https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12171301581.html

 

河童が出没するどころか、
堂島の下流先端は
今日こそ都心部の高層マンションの建ち並ぶ街ですが、
往時は甲板・デッキ「合羽」を細工する職人の町でした。
これまた「浪花ふくしま奇観」に挙げます。

 

最後に今は無き「堂島」という島を示します。
写真図4 「國寶大阪全図(部分)」の「堂島」

現在の地図に重ね合わせますと
「梅田バシ」→「田蓑バシ」から下流側西部は
福島区なのです。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登