端午の節供に撫で牛に参りました | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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一昨日2018年5月5日
端午の節供に撫で牛に参りました。
今日2018年5月7日1時から
「梅田牛駆け粽の世界」を講演するため、
取材に綱敷天神社御旅社に参りました。


同社は梅田一帯の氏神さんです。
写真図1 扁額

撫で牛は花で飾られていました。
撫で牛は昭和60(1985)年、丑年に
建立されたのですが、
端午の節供の花飾りは
神職の方が10年前の平成20(2008)年から
始められたと聞きました。

 

写真図2 花に飾られた撫で牛

この撫で牛への花飾りは、
「梅田牛駆け粽」(「梅田の牛の薮入り」)という
都市化する以前の梅田で行われていた
年中行事を今に伝えるために
始められたものです。

 

11時から斎行される神事を余所に
「梅田」、「うめだ」を探りに歩きました。
「うめきたプラザ」では

東日本大震災復興再生をテーマとする

大きなオブジェが立ってました。

 

写真図3 「うめきたプラザ」

 

「うめきたシップホール」の背景には
梅田スカイビルが見えます。
今や北梅田のランドマークです。

 

「梅田牛駆け粽」の舞台の
「梅田道」あるいは「梅田堤」は
川沿いの堤ではありません。
梅田橋から梅田墓に通じる野道です。
今日に残る道ではありませんので
推定するしかありません。
JR神戸線の高架下から
「西梅田一番踏切」を眺めました。


写真図4 JR神戸線の高架下

「西梅田一番踏切」の北方に
平成12(2010)年までは
墓石が寄せ集められていました。
梅田橋から梅田墓に通じる野道を
推察するには、
JR東海道線支線に見当をつけています。
現在、その「西梅田一番踏切」を
特急列車が新大阪駅に向けて通過しています。

 

写真図5 「西梅田一番踏切」を通過した特急列車

 

JRの地下駅・北梅田駅(仮称)が出来れば、
この「西梅田一番踏切」も無くなります。
梅田牛駆け粽の舞台である
「梅田道」の場所もわからなくなります。

 

今回の大阪区民カレッジ北校での講座では
綱敷天神社御旅社の撫で牛への花飾りが
この地の習俗を物語る「古儀」として
伝わることの意味を考えてみることにしました。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 代表 田野 登

 

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