「梅田牛駆け粽」の舞台を訪ねる(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

今日2018年5月1日(火)、
「梅田牛駆け粽」の舞台を訪ねました。

 

といいますのは、
5月7日(月)午後、大阪区民カレッジ北校で
《梅田の「牛駆け粽」の世界
-大阪市北区の民俗-》を
講演するのための取材です。

 

梅田の「牛駆け粽」ちゅうのは何?
近世末期から明治の初め頃にかけて、
この梅田の地で
旧暦5月5日の朝、
近郷の農民が牛を連れてやって来て
端午の節供の粽を撒いた。
それを見物衆が疱瘡の呪いに
競い合って貰い受けたといった
年中行事で、初夏の風物詩でした。

その舞台は、梅田のどの辺でしょうか?

 

写真図1 講演「梅田の「牛駆け粽」の世界」の表紙

表紙の下の画像は
『かんさい情報ネットten.』(読売テレビ)に出演した際、
2014年1月16日の収録時についでに撮影したもので、
梅田スカイビル中層階から南向きの眺めです。


何が臨めたか?
「梅田牛駆け粽」の舞台である、
「梅田道」です。

前方の更地は
梅田貨物駅跡地で、
その南西、鉄道線路と道路が交差する
踏切あたりには「梅田三昧(墓)」がありました。
東海道本線の高架の先(南方)、高速道路の際には、
毎日新聞社のビルが黒っぽく見えます。
ビルの影になって見えませんが、
国道2号線を越えた所に浄祐寺があります。
かつては、そのすぐ南の蜆川(曾根﨑川)に
梅田橋が架かっていました。

 

「梅田牛駆け粽」の舞台である、
「梅田道」は、梅田橋から梅田三昧地に
向けての道で
「梅田堤」とも称していました。

暁鐘成『浪華の賑ひ』安政2(1855)年刊行の
「牛の藪入り」に次の記事があります。
◆又*此所より
 一丁許北を、梅田堤といへり、
 是は梅田の三昧に
 至る道條なればなるべし
  *此所:浄祐寺

写真図2 浄祐寺山門より北西を向く

さて、皆さんの想像する「梅田」だったでしょうか?
次回は、「梅田牛駆け粽」の現代版ヴァージョンを
紹介しましょう。
舞台は、「梅田の氏神さん」です。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 代表 田野 登

 

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