第80回浦江塾は「こんなに変わった浦江鷺洲地帯」です。
先日、住職から案内のはがきが届きました。
文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
お寺の地は戦前、西淀川区浦江村大字鷺洲でした。
鷺洲も今はサギスですが、以前はサギシマだったようです。
広いバス道も前は田や畑で吉崎邸やお寺の境内が大きく
削られ出来ました。記憶のある人がいる間に地域を顕彰
確認しておきましょう。覚えていることを話して下さい。
日時 5月5日(土曜日)午後7時より9時迄
場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
テーマ 「こんなに変わった浦江鷺洲地帯」
-古い地図から見てみよう-
鷺洲上一町会長 玉尾照雄先生
地域の古い地図、写真、絵などあれば見せて下さい。
以下、田野による書き込み。
講師の玉尾照雄さんは、
鷺洲上一町会長として地域活動をなさりながら、
ずいぶん、たくさんの鷺洲の地図を収集しておられます。
今回は、その収集に基づいて、
地域の変遷を話されます。
はたして、お寺の場所が戦前、
住職が仰るように
「西淀川区浦江村大字鷺洲」だったのでしょうか?
どうやら「鷺洲上一丁目」以前には
「福島区浦江上一丁目」と称した時期があったようです。
これは「福島区」の成立に関わる問題で、
現在の「此花区」「西淀川区」の
広い地域に跨がる問題のようです。
今回の発表でボクの最大の関心は、
鷺洲上一町会の活動にあります。
妙壽寺の角の延命地蔵さんの
お世話をなさっているのは、
鷺洲上一町会です。
「鷺洲上一」は、昭和50(1975)年から
「鷺洲4丁目」になっています。
ところが、お地蔵さんの祀られている妙壽寺の角は
「鷺洲2丁目」です。
「鷺洲4丁目」と「鷺洲2丁目」の間には
広い道路で隔てられています。
この道路については、住職が仰るように
「広いバス道も
前は田や畑で吉崎邸やお寺の境内が大きく
削られ出来」たのです。
昭和50(1975)年に地名変更の際に、
「鷺洲上一」は道路を境に
丁目が分けられました。
それにも関わらず、
お地蔵さんは、昔ながらの町内会が
お世話しているのです。
写真図 広いバス道
道路の左が鷺洲4丁目、右が鷺洲2丁目
前方右の木立に妙壽寺角の延命地蔵
撮影日:2018年2月18日
このようにお地蔵さんの祭祀組織が
現行の行政区画と異なるといった事案は
「鷺洲上一」に限らないでしょう。
玉尾さんからの上一地蔵の
祭祀の経緯を聞きながら、
参加者の皆さんとの情報交換をしたいものです。
街並みの変化に
町会として如何に対応しているのかといった
住民自治の問題も提起されようかと思います。
今回、浦江塾は80回を迎えます。
思えば、ボクが府立高校を退職して、
当時、流通科学大学教授の長山雅一先生と
妙壽寺住職と計らって「浦江塾」という
郷土史を見直す、地域講座を立ち上げました。
8年前の2010年7月に「浦江の地名について」を
話したのが第1回です。
その間、郷土史をめぐり、
民俗学的視点からの考察も交えながら
続けて来ました。
今回の「こんなに変わった浦江鷺洲地帯」は、
まさに時機を得た発表です。
鷺洲上一町会の、多彩な取り組みは、
きっと他の地域の町会活動にも
ヒントを与えられると思います。
いつもの浦江塾です。
参加手続き不要、
参加費無料です。
活発な情報交換の場となることを期待します。
大阪民俗学研究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登
