左専道を経て深江「笠縫島」探訪(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回は足代の「伝承」を
言説として捉えました。
今、改めて深江を訪ねた時の
資料を整理してみて
「伝承」が言葉だけではないぞゾと
知らされました。


昨日3月28日、深江に入った際、
目に止まった看板がこれです。
場所は深江稲荷神社へは北にまっすぐの
絶好の所です。
写真図1 看板



「ようこそ菅笠の里へ
 深江 お伊勢参りへ旅立ちのまち」と。
これだけ見れば
どこにもある看板です。

掲示板の広報紙に目をやりました。
写真図2 掲示板の広報紙



大阪市交通局発行のものです。
「深江菅細工保存会」のことが書かれてました。

改めて平成20(2008)年に
「暗越奈良街道(二軒茶屋~深江)を歩く会
  -深江菅笠の工房を訪ねて-」のガイドとして
訪ねた時のことを思い起こしました。
この地の伝承は
口先だけのものではありませんでした。


あの時はたしか、
まだ「深江郷土資料館」は
建ってませんでした。
写真図3 深江郷土資料館



工房では
菅を材料にした工芸品を
町内の女性たちによって拵えてもらいました。
彼女たちは菅笠だけでなく
菅細工の技術を伝承しているのでした。


平成20(2008)年当時なかった
「暗越奈良街道」の顕彰碑と銘板を
この際、訪ねることにしました。
その銘板には『摂津名所図会』の挿絵があります。
神社を下向して
現地に向かいました。

このあたりは旧街道と産業道路が
絡むようにして東西に伸びています。

顕彰碑と銘板のある場所は
「笠縫島」伝承地である深江稲荷神社の
250メートルばかり南西、
産業道路の歩道、
野崎病院の前です。
写真図4 「暗越奈良街道」の銘板



顕彰碑には
「平成二十五年十月 大阪市」と刻まれています。
つい二年半前の建立です。

写真図5 『摂津名所図会』の挿絵



深江の菅笠を商う店で賑わう
暗越奈良街道が描かれています。
このような顕彰碑を建立することもまた
伝承の方法の一つです。

写真撮影を終えて引き揚げようとしました。

ちょうど、よい具合に
暗越奈良街道と産業道路の
分岐点が見えます。
写真図6 暗越奈良街道と産業道路の分岐点



この日は、
現地で思い出した技術伝承を
早く確かめたくて足早に、

右手(南側)の坂道・暗越奈良街道を

前方東に急ぎました。
仕事場であるマンションに引き揚げました。


究会代表 田野 登