今回は、サイトを見て「ほお~」と思ったことについて書こうかなと思います。
それを書く前に、これを読んでいる中学生・高校生に問題です。
「私」は英語で何でしょう
あ、「私の」とか「私に」とかではなく、「私は」の英語です。
もちろん、Iですよね。
英語を学校で習い始めたときに、真っ先に習うものがこれでしょう。
そして、それを習ったときに、こう言われたはずです。
「この「私は」をあらわすIは、どんなときでも必ず大文字で書くんですよ」
このとき「なんで?」と思った人は少なくないでしょう。
自分も思いました(笑)
たまに、その生徒の疑問を感じ取る先生が「小文字にしちゃうと、ほかの単語とまじったときに見分けがつかなくなるから」などのような説明をしてくれることがあります。
たしかに、これも納得のいく説明の一つかもしれませんね
ちょっと短めの文章だったら大丈夫かもしれませんが、何ページもあるような本の文章があって、その文章の途中に小文字のiだけポツンとあると、気づきにくいかもしれません。
途中にあっても「これは「私」の意味の単語ですよ」となっていれば便利です。
ただ、どうもそれだけが理由ではなさそうです。
英語では、大事なことや強調することは大文字で書く傾向があります。
たとえば、「おかあさん」「おとうさん」をMom、Dadと書きますが、親は大事なものだというあらわれなのでしょう。
そういえば、神様をあらわす英語はGodと書きますが、godという書きかたよりも、この大文字で書き始めているもののほうを圧倒的に目にしますよね?
よって、英語圏では自分のことが大事にされている背景があるから、このような書きかたになっているのも一因ではないかというのを目にしました。
アメリカやイギリスでは個人主義の考えが日本とは比べものにならないぐらい浸透していますから、「私」というのを大文字で書き始めたくなるのもわからなくはありません。
あるいは逆で、「私」を大文字で書くような文化だから、個人主義の考えが強まったのではないかという記述を見たことがあるのですが、実際どうなんでしょうねえ?
ほかにもれっきとした理由があり、これは話が中世のイギリスにまでさかのぼります。
今では印刷はコピー機など機械が簡単にやってくれますが、中世のイギリスにはそんなものはありません。
もしコピーを作りたいとなった場合は、人が手書きで書き写さないといけませんでした。
中世のイギリスでは、手書きの写本を作っている修道士にとって、小文字のiはきれいに見えないということで、大文字のIを書くようになりました。
この習慣が、ほかの英語圏の国にまで、そしてその後の時代にまで残ってしまったという理由もあるのではないか、というのを目にしました。
歴史がからんでいるぶん、説得力がある理由ですね
ちなみに、英語のIはドイツ語のichからつくられたもののようです。
ドイツ語の私は「イヒ」というというのは聞いたことがあるという人もいるかもしれませんが、そのことです。
それが古代英語ではicとなりました。
ただ、時間とともに、発音しづらいicを使わなくなり、Iと言うようになったんだそうです。