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愛より愛へ(1938年) 監督:島津保次郎

出演:佐野周二 高杉早苗 高峰三枝子 坂本武 河村黎吉 水島亮太良 葛城文子 

 


 

良家出の売れない作家・茂夫(佐野)は、バーの女給・美那子(高杉)の働きで食わせてもらっている。自身の将来に美那子との関係が大きな障壁となっていることを知りながら、捨てられない茂夫であった。

 

伯父(坂本)の紹介で新聞社の採用に臨むも、面接した影山(河村)からは「立派な家があるのに、なぜアパート暮らしなのか?女と一緒なら、わが社はそうしたことにウルサイから、早急に手を切りなさい」とクギを刺される。これに対し、「それなら、こちらからお断りする」と毅然と振る舞う茂夫であった。

 

かと言って、茂夫は美那子にラブラブな気持ちを常に向けるわけでもなく、なぜか素っ気ない。照れくさい気持ちも分かるが、すべからく理詰めの態度で、美那子のこともまるで他人のように扱う。

 

 

そんな茂夫に業を煮やした妹の俊子(高峰)は、2人を円満に結びつけるために大いに尽力する。3人で映画を見に行った際、茂夫が席を外した隙に美那子にお金を渡そうとしたり、2人の結婚に反対する伯父に猛反発したりする。
 

茂夫との別れを決意した美那子はアパートを出て行こうとするが、それを知った茂夫の母(葛城)と俊子は、美那子の潔いまでの純愛に泣き濡れる。

それにほだされたのか、いままで反対していた茂夫の父親(水島)は、手の平を返したようにあっさり美那子を家に迎え入れる。

 

その知らせを電話で受けた美那子は、嬉し涙を流す。
 

 

前に紹介した『朱と緑』(1937年)でも、高杉早苗さんと高峰三枝子さんの組み合わせだったが、『愛より愛へ』では立場が逆転したイメージ。1年しか経っていないが、今回の高杉早苗さんの演技のほうがずっと良い。

 

ところで、茂夫と美那子が住むアパートで心中事件が発生するエピソードがある。2人と同じような境遇の恋人同士の心中だった。

心中事件と言えば、1932年の「坂田山心中事件」が有名で、『天國に結ぶ戀』という五所平之助監督の映画もつくられたほどだ。また、翌年の1933年には女学生が集団自殺した「三原山女学生心中事件」が起こるなど、心中が一種のブームとなった。

今回の『愛より愛へ』でも、心中事件というスパイスを加えることで、悲恋のムードが一気に高められている。

 


 

母の戀文(1935年) 監督:野村浩将

出演:小林十九二 坪内美子 吉川満子 高杉早苗 徳大寺伸 突貫小僧 坂本武 山内光 斎藤達夫 磯野秋雄 葛城文子 笠智衆

 

 

「愛する者は 幸せなりー」 という

イエス・キリストの言葉で物語は始まる。

 

熱烈な恋愛の末、スピード結婚した良一(小林)と夢子(坪内)。一見すると、のほほんとしたイメージの夢子だが、新婚当初から賢妻ぶり全開で、良一はどうにも頭が上がらない。そして、家に泥棒が入ったことで、彼女の実力が発揮された。刃物を向ける泥棒に機転を利かし、見事に撃退したのだ。その一部始終が新聞に報道されたことで、会社の同僚たちからは「出来過ぎた女房は、亭主の信用を落としかねない」とまで揶揄される。普段から柔道5段を誇示する良一は、いい面の皮である。

 

 

さて、話は前後するが、良一には八重子(高杉)という妹がある。もともと良一と夢子は、八重子の巧みな戦略により、円満結婚にこぎ着けたようなものだった。事実、八重子と夢子は何かと馬が合い、2人の協力によって姑の勇子(吉川)とも上手くやっている。

 

 

その八重子には、白河喬(徳大寺)という恋人があるのだが、彼は血液学者としてまだまだ将来が定まらない身のため、八重子は彼との恋愛を家族に打ち明けられない。


そこに降って湧いた八重子の見合い話。お相手は日本橋で一番の木綿問屋の若旦那だ。母親の勇子は八重子とこの若旦那を結婚させたい。これに対し夢子は喬の存在を知りながらも、縁談を順調に進めんとする勇子から相談を受け、まんまと帯で買収される。

八重子を裏切るか夢子?!

 


 

しかし、そこは賢妻夢子のこと、八重子をパーラーに誘い出し、フルーツポンチを6杯も喰らう姿を木綿問屋の若旦那に見せつける。これに幻滅した若旦那から「この話はなかったことに」とのお断りの知らせが入る。それでも諦めきれない勇子は、再度正式なお見合いの席を設けようと躍起になる。

 

 

そんなとき、良一の浮気容疑が勃発した。夢子は、酔っぱらって帰った良一の上着から芸者からもらったと思しき簪とラブレターを発見する。その手紙には、「あなたとの結婚が待ち遠しい」としたためてある。これに逆上した夢子は、カンカンになって実家に帰る。

 

八重子から仲裁役を頼まれた喬は、夢子の実家に参じ仲直りの説得をする。しかしラブレターの文面を目の当たりにした喬は怒り心頭となり、良一の不正を糾弾せんと良一宅に乗り込んでいく。

 

ところがだ、件のラブレターは良一が芸者からもらったものではなく、かつて良一の母親・勇子が結婚直前にいまは亡き夫(良一の父)に宛てたもので、何かの拍子で良一の上着付近に紛れたものだったことが判明する。

 

この騒動が瓢箪から駒となり、八重子と喬の恋愛も皆が知るところとなる。

 

「めでたしめでたし」と言いたいところだが、本題(母の戀文)につながるまで、始まりから実に1時間30分もの時間が費やされる。

しかも、以上の話に夢子の実家の父・進太郎(坂本)と兄・利一(山内)らとの関係も絡んでくるのだから、話はかなり複雑というか随分と焦点がボケてしまう。

 

最後に気になったのがラストでの夢子の父・進太郎の行動だ。

「若い者は若いもの同士、年よりは年寄り同士」と言い放ち、いま出会ったばかりの勇子の手を引いて行く姿が障子の影に映される。やもめ同士、惹かれ合ったことをうかがわせる描写だ。

 


やもめ同士で仲良くなったか?良一の母と夢子の父

 

「どこもかしこも ラブシーン これには 神様でさへ 呆れました」という言葉で映画は締めくくられる。

各自が収まるべきところに収まる形で終わるのは、ラブコメディならではの後味の良さ。

●朝の並木道(1936年) 監督:成瀬巳喜男

出演:千葉早智子 赤木蘭子 大川平八郎 三島雅夫 御橋公 清川玉枝 清川虹子

 

 

田舎と言っても東京近郊だろう。田舎の生活に飽きた千代(千葉)は、丸の内の大きな会社で働いているという親友の久子(赤木)を頼って東京へと出ていく。久子から教えられた住所を訪ねたところ、なんとそこはカフェーで、彼女は「茂代」という名で住み込みの女給として働いていた。

 

一瞬戸惑う千代であったが、いまさら郷里に戻るわけにもいかない。いずれにしても東京には居場所がないため、日中は職を探す傍ら、夜は茂代のカフェーで働くこととなった。

 

東京でも求職者が溢れているご時世、田舎から出てきた娘をわざわざ雇う会社などない。なかなか職が決まらない千代であったが、反面、女給の仕事がすっかり板につき、千代目当てに通う客も増えてきた。

 

 

そんな客の1人が、小川(大川)という若い男だった。彼は丸の内の会社に勤めるサラリーマンで、千代の職探しにも協力する。しかし、見つけてあげられないことを悪く思ってか、千代のカフェーに通う頻度が増えてきた。

「そんなに無駄遣いなさらないで」と言う千代に対し、「お金はあるうちだけ、千代ちゃんの顔をウンと見ておくんだよ」と返す小川。千代はますます小川に惹かれていく。

 

 

そして、なぜか話は急展開する。

 

千代と小川の2人は、新婚旅行?に向かう列車の車中に仲睦ましくいる。将来の家庭生活の夢を語る千代だが、小川の様子はどこか落ち着かない。宿泊先の旅館でもとにかく挙動不審なのである。なぜなら小川は会社の金を横領し、警察から追われる身だったからだ。新婚旅行のはずがとんだ逃避行である。

必至に山の中を逃げ回る2人だが、ふと我に返ると、千代は布団の中にいた。接客中に酔っぱらってダウンしたのだ。そう、小川とのラブ&逃避行は全て夢での出来事だったのだ。


後日、小川が再び千代の元にやってきた。仙台への転勤が決まっていたのだと言う。だから旅立つ前に、千代のカフェーで目一杯遊んだのだと。

とにかく恋愛は後回し。気持ちを切り替えて、また明日から職探しに励もうとする千代であった。 

 

この作品の翌年、成瀬巳喜男監督と千葉早智子さんは結婚するが、残念なことに3年後に破局。1935年の『妻よ薔薇のやうに』でも一緒だったが、仕事とプライベートの双方で良い関係を保つのは難しいのかもしれない。

 

カフェーが舞台ということで、当時の流行歌がいくつか流れる。

そのなかで1つ気になったのが、渡辺はま子さんが歌う『忘れちゃいやョ』だ。

この歌は、1936年3月の発売から3カ月後、当局より発売禁止が命じられたことはご存じの方も多いだろう。

なにがイケないのかというと、全体の雰囲気もそうなのだが、「こんな気持ちでいるわたし ねえ 忘れちゃいやョ わすれないでね」という歌詞の「ねえ」と歌う表現があまりにも色っぽすぎるからダメだというのだ。

 

では、映画中に流れる曲はどうかというと、「ねえ」の部分がチーンという音で上手くカットされていた。
いま聴くことのできる音源は全て「ねえ」が歌われているが、もしかしたら、カットして吹き込んだ版が存在したことも想像できる。

 

渡辺はま子さん

●由起子(1955年) 監督:今井正

主な出演:津島恵子 宇野重吉 木村功 原保美 関千恵子 小沢栄 野添ひとみ 加藤嘉 村瀬幸子 奈良岡朋子 武智豊子 織田正雄 加原夏子 吉行和子 中村是好 中村伸郎 清水将夫 浜田義夫 西村晃 左卜全 

 

 

昭和8年5月のある日。十和田湖にほど近い奥入瀬の渓流で入水自殺を図ろうとする女学生姿の少女がいた。遥々東京からやってきた由起子(津島)である。偶然にもその場に居合わせた尾高画伯(宇野)は、「おい、君!」と彼女に声をかけ行為を食い止める。

尾高画伯は自身が宿泊する宿に由起子を招き、お互いに身の上話をする。

尾高画伯は30歳のときに小児麻痺にかかり足が不自由な身。画伯の体に嫌気がさした婦人は、つい最近、若い弟子と駆け落ちしたと言う。尾高画伯は、「私もここでなら美しく死ねるかもしれないと思った」と由起子に深く共感する。

 


 

一方の由起子が今日の出来事に及ぶ事情はこうだった。

 

私生児として生まれた由起子は物心ついたときには伯父夫婦で育てられていたが、2人の実娘を持つ伯母(村瀬)は、由起子に何かと辛く当たり、表玄関からの出入りが許されないような境遇だった。

自分の身の置き場がない家庭で育ったせいか、女学校に入ってもなかなかクラスに馴染めない由起子であったが、それでもたった1人、田鶴子(関)という親友ができた。

 

 
しかし、貧しい家庭の田鶴子は2年生のときに女学校を辞め、浅草のレビュー劇場の踊り子となった。「相談に乗ってほしい」と田鶴子から手紙をもらった由起子は、彼女が唯一心を開く楠(原)という教師を伴い劇場へと訪ねていく。
田鶴子は「ハトヤ」という喫茶店で待つよう指示するが、来たのは彼女の婚約者であり駆け出し作家の上野山三吉(木村)という男だった。
 

三吉の話によると、田鶴子は「カジノ・フォーリー」の指揮者である青砥(小沢)という男から無理やり愛人にされたという。ついに田鶴子は青砥から逃げるために地方まわりの芝居一座に入り、同時に三吉との別れを決める。

田鶴子を巡る三吉と青砥の争いが警察沙汰となったことで、三吉は作家の道を断念し、故郷の因島へと帰る。

ところが、この一件で警察が由起子の学校に来たことで大問題となる。教師・楠による熱心な擁護の甲斐なく彼女は退学を迫られる。

 

 

方や家では、伯母から「あなたの母親と同じふしだらな血が流れている」となじられる。自身の出生を知った由起子は、伯母がほのめかす秋田県の毛馬内という土地に自分を生んだ母親の足跡を探す旅に出る。

あちこちと訪ね歩いた結果、ようやく母のことを知る人から話を聞けたものの、観光シーズンには旅館の仲居として毎年来ていたが、いつの間にか来なくなったと言う。行き詰り、自暴自棄となった由起子が選んだのは自ら命を絶つことだった。

 

これまでが前半のストーリーだ。

 

後半では、由起子の身の上を不憫に思った尾高画伯が、彼女を秘書として雇うところから始まる。

奥入瀬渓流での出会いから3年、二・二・六事件が起こった日に京都の一流ホテルに宿泊していた2人。「京都の寒さは身に堪えるから、いくらか暖かいところが良いね。君が行きたいところはないか?」と尋ねる尾高画伯。これに対し、由起子はかつて知り合った三吉の故郷、瀬戸内海にある因島を希望する。

 


 

もちろん、由起子の目的は三吉の消息を尋ねることだった。

しかし三吉には、とめ(野添)という許嫁がいた。とめは三吉に一途な思いを寄せていたが、三吉にとって彼女との結婚は、自身を因島から出さないための父親・彦造(加藤)の策略と知っていた。

 

因島に来た由紀子を訪れた三吉は、胸に秘めていた彼女への気持ちを打ち合け、結婚の約束を交わす。一時は三吉との結婚を考えた由起子だが、旅館に怒鳴り込んできた彦造とそれを追ってきた婚約話のとめの姿から、三吉ととめとの幸せを願う。

 

そして由起子自身は、今後も尾高画伯に仕えようと決心する。

 


 
以上が全体のストーリーだが、後半から大きな違和感を覚える。

 

もともと由起子と三吉は恋仲でも何でもないはずなのに、なぜか由起子が因島に来たとたん2人がいきなり結婚となったのが全く理解できないし、その決定的なきっかけとなるエピソードもない。

 

いずれにしてもこの作品は、菊田一夫氏原作の長編ラジオドラマを2時間に凝縮したせいか、ストーリー展開にややムリが感じられる。

(なが〜く引っ張った『君の名は』を映画化したときも同じだったかもしれない)

 

私は、原作を読んだわけではないし、ラジオドラマも聴いていないからあまり大きな主張はできないが、映画作品としては、むしろ「尾高画伯と由起子とのラブストーリー」を明確な軸にしたほうが分かりやすいし、深い余韻が残る作品に仕上がったと思う。

つまり、作品中では由起子に対する尾高画伯の慕情も描かれているのだから、三吉との絡みはアッサリ流し、尾高画伯との恋愛の進展をもっと緻密ではっきりと描いてもらいたかったというのが個人的希望だ。
 

そうは言っても、菊田先生という大作家の手前、オリジナルをアレンジできなかったという大人の事情もあるだろう。情景映像とオールスターキャストの名演が素晴らしい今井正監督の作品だけに、その点だけが残念。


前半で、かつて浅草公園六区にあった浅草水族館とカジノ・フォーリーが出てくる。カジノ・フォーリーが昭和8年に解散し、水族館のほうも昭和10年頃の閉館だそうだから、いま生きている人で実際に行ったことのある人は少ないだろう。

 

伯母の娘役で吉行和子さんが出演しているのも見どころかな?

 

それと、注目したい女優さんが田鶴子役の関千恵子さん。

『ひめゆりの塔』(1953年)でも津島恵子さんと共演した。

後年は場末の飲み屋の女将や売れない芸者、あるいはザァマス婦人などの役でよく見かけたが、若い頃の女学生役は可愛らしい。

現在は引退されているようだが、94歳でご健在なのが嬉しい。
 


『ひめゆりの塔』(1953年)でのプレミア画像

左から関千恵子さん、津島恵子さん、香川京子さん

 

●姉妹(1955年) 監督:家城巳代治

主な出演:野添ひとみ 中原ひとみ 河野秋武 川崎弘子 望月優子 多々良純 加藤嘉 北林谷栄 城久美子 内藤武敏 松山栄太郎 織田政雄 殿山泰司

 


 

親元を離れ、町のミッションスクールに通う圭子(野添)と俊子(中原)の姉妹。姉の圭子は5人兄弟の長女でしっかり者だが、妹の俊子は思ったことを直ぐに口に出さないと気が済まない無邪気なタイプ。性格が正反対の2人だが、気の良い伯母夫婦(望月・多々良)宅に下宿し、日々楽しい生活を送っている。

 

いつもながらゲス感がヤバい伯母役の望月優子さん

 

ある日俊子は同級生のとしみの家に行ったところ、彼女の姉と弟は障害者だった。としみの家は町の名士だが、いくらお金があっても幸せではないことに気づく。

そうかと思えば、行商で生計を立てながら、身体が不自由な両親2人(加藤・北林)の世話をするはつえ(城)の献身的な姿に深く感銘する。さらには、生活のために子どもを売りに来る母親など、俊子はこうした人々との出会いのなかで成長していく。

 

 

やがて俊子は、高校進学とともに学校の寄宿舎へ入った。姉の圭子は学校を卒業し、故郷へと帰る。山の発電所に勤める青年・岡(内藤)にほのかな恋心を寄せる圭子だが、お見合いをした銀行員との間で結婚の話が進んでいた。俊子は「岡と結婚したほうが幸せではないか」と気を揉むが、圭子は将来を考えて銀行員の元へ嫁ぐことを決める。婚礼会場に向かう花嫁衣装の圭子に、山の上からエールを送る俊子であった。

 

ダブルひとみで姉妹を演じるが、実際には妹役の中原ひとみさんのほうが1歳年上のお姉さん。小柄なせいか幼く見える。

 

姉妹の弟役を演じる子役は、後の松山栄太郎さん。

(残念ながらクレジットに名前は出てこない)

48歳の若さで亡くなったのが惜しまれる俳優さん。

 

 

姉妹の母親役が川崎弘子さん。同じ1955年に田中絹代さんが監督した『乳房よ永遠なれ』では、月丘夢路さんの母親役?を演じた。これらの作品ではごく自然な母親役を演じているが、やはりどこか弘子さん特有の上品な美人オーラを放っている。

 


関係ないが、私の祖母も“静子”という名前

●四人目の淑女(1948年) 監督:渋谷実

主な出演:森雅之 小暮実千代 濵田百合子 月丘夢路 三浦充子 笠智衆 殿山泰司 坪内美子 望月美恵子

 

 

音楽学校時代の同期生、佳王子(濱田)、時代(三浦)、好江(月丘)、孝子(小暮)の4人の淑女に送られ出征する吉田和夫(森)。

どうせ死ぬに決まっていると悲観する和夫だが、6年後、生きて再び故郷の地に戻ることができた。焦土と化した東京で、和夫はかつての女友達らの消息を尋ねて歩く。

 

佳王子(濱田)

最初に訪れた佳王子は、和夫が結婚を約束した女だった。しかし、没落貴族となったいま、借金のカタで家屋敷を取られるところを、新興ブルジョアの古川隆吉(笠)との結婚に救いを求めようとしていた。まさに背に腹は代えられぬ身のため、「愛情だけでは暮らせない」と和夫との約束を反故にする。

 


時代(三浦)

次に訪ねた時代は、キャバレーの歌手に落ちぶれ、おまけに光ちゃんというヒモ男から食いモノにされている。

 


好江(月丘)

3番目の好江は、いまや流行歌手のトップスターに輝く存在。好江のステージを訪ねた和夫だが、復員兵の見すぼらしいナリのせいでタカリと思われ、興行関係者から体よく追い返されてしまう。

しかし、このとき好江は、過労から急逝結核を発病し、明日をも知れぬ命だった。

 

孝子(小暮)

最後に訪ねた孝子は、ナイトクラブを経営する夜の女帝。和夫に「世の中は全てカネ」と言い、和夫に大金を渡すとともに、正装にドレスアップさせて佳王子と古川の婚約披露パーティーへと乗り込んでいく。

 

 

和夫の見違える姿に唖然とする佳王子。「5000万円の資本で貿易会社を始めた」とウソを言う和夫。

姉(坪内)の忠告に対し、「同じお金があるのなら和夫さんのほうが良いわ〜」と古川から乗り換えようとする佳王子。なんと変わり身の早いこと!

先日の対応から手のひら返しの佳王子に対し、「いまの僕は一文無しのニセモノさ」と自ら正体を明かした和夫は佳王子のもとを去っていく。キツネとタヌキの馬鹿し合いだ。

 


方や、佳王子のゲス根性を知った古川は婚約の解消をほのめかす。古川はもともと、佳王子の高貴な生き方に魅力を感じていたわけで、カネの奴隷となった惨めな佳王子への熱はすっかり冷めてしまった。

 

次に和夫は、時代のヒモ男に大金を渡し手を切れさせようとする。快諾したヒモ男は別の愛人・ユミ(望月)と手を取り関西に旅立とうとするが、それを阻止せんとする時代と揉み合いとなり、ヒモ男は階段から落ちて死んでしまう。時代の幸せのために使ったカネが、結果的に不幸を招いてしまったわけだ。

 

さらに和夫は、入院中の好江のもとに向かうが、時すでに遅く臨終に。それを知らない和夫に対し、孝子が病床の好江に変装し「あなたが必ず帰ると信じて待っていた」と語る。「温かい心で僕を迎えてくれたのは君だけだ」と和夫は感涙する。「正しく生きることが何よりの幸せ。お金が全てではない。お金で人の幸せはつくれない」と諭す好江(変装した孝子)。

 

顔に包帯を巻いて好江に変装した孝子。

こんなことを病院が許してくれるのだろうか?

 

作品のタイトルから「四番目の淑女」が物語のキーパーソンと思われるが、それは誰を指すのだろう。

 

まず、時系列で言えば四番目は孝子である。さらに、好江の死を知らせまいと変装してまで和夫の心に寄り添ったのも孝子だから、四番目の淑女はやはり孝子なのだろう。しかし、劇場では門前払いを喰らい、事実上四番目に会ったのは孝子が変装した好江なのだから、和夫の中では好江こそが四番目と考えられる。

 

病院からの帰り和夫は、「好江さんのところで見たものを汚されたくない。あの人のそばにいたい」と孝子に別れを告げるシーンがある。もしかしたら、和夫は好江の死に気づいており、自ら死を選ぶことをうかがわせる結末だ。

(そう考えるとやはり四番目はやはり好江となる)

 

ところが、これで物語は終わらない。話は佳王子と古川の婚約披露パーティーに戻る。

結婚はともかく何が何でもカネだけは欲しい佳王子は、古川に食い下がり、手元にあった拳銃を古川に向け撃ち殺してしまうのだ。

最後の最後まで、カネが不幸を招くことを証明するかのような終わり方である。

 


拳銃を向けられビビる古川(笠)

 

4人の女性それぞれのエピソードが複雑に絡むストーリーだが、実際は分かりやすい顛末であり、深い余韻を残す作品である。

脚本を書いたのが後に名匠となる新藤兼人氏なので納得。

ただ、孝子(小暮)が好江(月丘)に化ける設定はどうかと思うが・・・「幸せに生きることの真実の声」は、4人の女性のうち誰かが言わなくてはいけないから孝子が最適なのだろう。

お加代の覚悟(1939年) 監督:島津保次郎

主な出演:田中絹代 上原謙 三宅邦子 林一重 河村黎吉 葛城文子 坪内美子

 

 

日本舞踊の師匠・お隅(三宅)の内弟子として、7歳のころから稽古に励んできたお加代(田中)。

ある日、出征中のお隅の夫から「お前の暮らしぶりが感じられる写真が欲しい」との便りが送られてきた。そこでお隅の兄・慶三(河村)は、カメラを趣味とする信用堂の若旦那・俊作(上原)に来てもらい、お加代に稽古をつけるお隅の姿を写真に収める。

 


わが妻君も三味線を嗜むが、三宅邦子さんくらい色っぽければ嬉しいのだが…

 

 

お加代はもうこの時点で、俊作にポーっと一目惚れ。

後日、出来上がった写真を俊作から手渡されるとき、「お加代さんは写真よりも実物のほうが遥かに可愛い」などと言われ、恋心を一層募らせる。

 

お汁粉を食べる姿が愛らしい田中絹代さん。

 

それからしばらくして、俊作の母・お峰(葛城)から俊作の縁談の話が持ち上がる。どうやらお相手はお隅の弟子のうちの誰からしい。さらにお隅とお峰の会話を盗み聞きするお加代だが、この日すでにお見合いが執り行われており、お相手は春子(坪内)だと知る。独り泣き崩れるお加代。

 

 

俊作と春子の婚礼当日、お加代は乱れる心を抑えるかの如く、悲恋物語の『お夏清十郎』を舞い踊る。

このシーンはエンディングまで実に12分もの時間が使われている。芸の道に生きる“お加代の覚悟”を表現したシーンであるとともに、日本映画史上に残るラストと評価したい。

(『銀座カンカン娘』の古今亭志ん朝のラストにも通じるかな)

 

冒頭に、お隅が出征中の夫の陰膳に向かい独り芝居をする場面がある。

「さあ、お燗もつきました。お豆腐も煮えました。寒いときにはこれに限ります。鱈でも入れてごらんなさい。とろけてちまうほど美味いかもしれません」と湯豆腐を食べるシーンだ。三宅邦子さんが色っぽくて実に良い。

 


その他

◎三宅邦子さんが師匠で田中絹代さんが弟子の役柄だが、実は田 

 中さんが7歳も年上。なので、三宅さんはかなり頑張ったと思う。

◎三宅邦子さんの娘役の光子。声といい容姿といい、一瞬、『愛染か

 つら』の小島和子さんと思ったが違っていた。林一重さんという子 

 役だった。

俊作の結婚相手の春子は坪内美子さんが演じているが、 登場場

 面は婚礼のシーンだけでお顔がほとんど分からないのが残念。

◎後年に製作された吉村公三郎監督の『花』(1941年)でも、上原

 謙さんが写真愛好家の設定だった。上原さん個人、写真が趣味

 のだろうか。

ここに泉あり(1955年) 監督:今井正

主な出演:小林桂樹 岡田英次 岸恵子 加藤大介 三井弘次 原保美 東野英治郎 草笛光子 沢村貞子 増田順二 千石規子 多々良純 大滝秀治 奈良岡朋子 武智豊子 田中筆子 原ひさ子 浜田光夫 山田耕筰

 

 

群馬県は高崎の市民オーケストラが本格的な交響楽団に成長するまでの物語。

戦後すぐに結成された高崎の市民オーケストラは、軍楽隊あがりや音楽学校を卒業したばかりのメンバーの寄せ集め。それでも人の良いマネージャーの井田(小林)は、どうにかこの地で交響楽団を立ち上げたいと奮闘する。

しかし、楽団員にまともな報酬が払えないばかりか、ちんどん屋や音楽教室でなんとか食いつなぐあり様。

 


 

そんなとき、山田耕筰氏の楽団との合同演奏会を開くこととなったが、実力の差は歴然で一同は落胆を隠せない。

解散やむなしの覚悟を決めた折、草津にあるハンセン病療養での演奏会で、患者たちが不自由な手で心からの拍手が送られる。「この感動をもって私たちの有終の美とするか?」ますます喰い詰めた楽団員たちは、自分の楽器を質屋に入れるまでの事態に。

 


 

それでも、「これが最後の仕事」と、交通費だけで赤字覚悟の山奥の小学校での演奏会に赴く。真剣な眼差しで演奏を聴き入る子供たち。その子供たちから「赤とんぼ」の合唱で見送られたことで一念発起し、さらなる歩みを決意する。

 

マネージャーの井田が子供たちに、「バイオリンは楽器の女王様、そのお兄さんにヴィオラがあるよ」、「ピアノは楽器の王様かな?」と分かりやすく説明するシーンが実に良く、楽器への愛情を感じる。

 

 

そして数年後、高崎の地にかつて市民オーケストラがあったことを思い出した山田耕筰氏は、高崎駅に降り立つ。その所在を尋ねつつ、練習風景を目の当たりにした同氏は、見違えるまでの成長に感動し、自らタクトを振る。

 


 

群馬交響楽団結成の実話にもとづく話だそうで、山田耕筰氏は本物の山田氏が堂々出演している。

 

キャストも様々な俳優陣で構成されているが、中央映画製作・独立映画配給という形をとることで5社協定をなんとかクリアしたと思われる。

 

知り合いに交響楽の熱烈なファンがいて、演奏会にもよく行くそうだ。群馬県出身の人なので、元からそういう気風がある土地なんだとつくづく思った。

そして、何のコマーシャルだったか忘れたが、「特急列車が止まる町には、交響楽団があってもいい」というのがあったのを思い出した。

そよかぜ(1945年) 監督:佐々木康

主な出演:並木路子 上原謙 佐野周二 斎藤達夫 高倉彰 三浦光子 若水絹子 二葉あき子 霧島昇 波多美喜子

 

 

とうとうと言うか・・・

ついに観てしまったりんごの唄で有名な『そよかぜ』。

テレビなどで終戦直後の映像が映ると、決まってこの曲が流れる。

しかし、劇場公開されたのが昭和20年の10月11日というから、実際の製作は終戦の8月15日よりもっと前から行われており、当初の脚本は、戦時色を強く反映したものと想像される。

 

この点に関して、深掘りすると。

 

並木路子さんが歌う『りんごの唄』だが、この曲を「映画『そよかぜ』の挿入歌」と言う人がいる。

決して間違いではないが、これを言う人は、実際に映画を観ていない人だろう。

『りんごの唄』は、オープニングとエンディングで全面的に使われていることから、単純な意味での挿入歌ではなくメインの曲に位置づけることができる。

 

なぜ、このような誤解が生じるかというと、映画のタイトルとなった『そよかぜ』という曲が劇中で使われているからだ。これは楽団員の横山(佐野)が作詞・作曲したという設定の曲で、スターデビューを飾るみち(並木)が劇中で歌う。物語のポイントとなる曲だけに変更することなどできないし、本来ならこちらのほうがメインなわけなのだが、終戦によりもっと軽快で心躍る歌が望まれた。そこで、戦時下だと明るすぎてお蔵入りとなっていたサトウハチロー氏の『りんごの唄』を後からメイン曲に当てた。

以上が、ことの顛末だろう。

 

公開時に映画のタイトルを『リンゴの唄』と変更しなかったのは、企画の段階から『そよかぜ』のタイトルで製作や宣伝が進んでいたからか?

いずれにしても、戦中・戦後の混乱に翻弄された作品だが、『リンゴの唄』が採用されなかったら、爆発的にヒットしなかったし、いまの令和時代まで知られる曲にはなっていなかったと思う。

しかし、逆に主題曲が立ちすぎて、物語の筋を知る人が少ない映画の代表例とも言える。

 

 

ストーリーはなんとなく知ってはいたが、きちんと観たのは今回が初めて。

レビュー楽団の照明係を勤めながら歌手を夢見るみち。劇団員の舟田(上原)や平松(斎藤)はみちをデビューさせるために尽力するが、横山もみちのことを気にかけながらも、つい悪態をついてしまう。

スター歌手の恵美(二葉)が引退することとなり、舟田はその後任にみちを推薦する。「まずはコーラスガールから」ということで、みちはより一層のレッスンに励む。みちの実力を認めた支配人は、新人スターに抜擢することを決めた。デビューのステージで最初に歌うのが、横山がつくった『そよかぜ』だった。次いで、『リンゴの唄』で締めくくられる。

 

 

スター歌手の恵美役は二葉あき子さん。

レコードで『リンゴの唄』を歌う霧島昇さんや波多美喜子さんら当時の人気歌手がゲスト出演している。

 

上原謙さんがトランペットで『旅の夜風』を演奏するシーンが見られるが、このあたりの洒落っ気が松竹ファンにはなんとも嬉しい。


 

ところで、りんごつながりで、むかしの知人からこんな話を聞いたのを思い出した。

終戦直後の食糧難の折、土手に座ってりんごをかじっている少年がいる。それを見た悪ガキは、「あの野郎、りんごなんて贅沢なモノ食ってるぜ。ブンどってやろう」と、少年からりんごを奪い取る。

ところが、それはりんごではなく、皮を剥いたナマのジャガイモだったという話。

その悪ガキが私の知人。

 

映画の後半にみちの故郷のリンゴ農家のシーンが出てくる。りんごがたくさん収穫される実に豊かな情景だが、現実はほとんどの人がりんごなど口にできないほど貧しかった時代。

信子(1940年) 監督:清水宏

主な出演:高峰三枝子 三浦光子 岡本文子 森川まさみ 飯田蝶子 吉川満子 三谷幸子 奈良真養 松原操

 

 

太平洋戦争が始まる前に流行った女学校モノ。

 

新任教師として九州から東京の女学校に赴任した信子(高峰)。まずは校長・関口(岡本)から九州なまりや言葉づかいを戒められるばかりか、生徒たちからも揶揄される。

(たしかに地方なまりなのだが、九州の方言には聞こえない)

 

 

信子を特に悩ませたのが、学校の有力者の娘・穎子(三浦)の執拗なまでの反抗だった。しかし信子は、それを見事にやり込めたことで、生徒たちからの信頼と人気を一身に集めることに。

行き場を失った穎子は、ガス自殺を図るも未遂に終わる。

この事件に対し学校側は信子の責任を追及するが、穎子の父、細川(奈良)は穎子に真剣に向きあう信子の姿勢に感銘し、このまま教師の職を続けてほしいと懇願する。


 

物語の前半で信子が下宿する置屋に見習い芸者のチァー子(三谷)という娘がいる。女学生に憧れるが、そもそもそんな身分ではないため、これからの人生を悲観する。不憫に思った置屋の女将・お佳(飯田)は、チャー子を養子に迎え女学校にも通わせることに。ストーリーには直接関係ない展開だが、最後に心温まるエピソードを加えるところに清水宏監督の優しさが表現されていると思う。

 

チャー子を娘にすることを信子に伝える女将役の飯田蝶子さん

 

音楽の先生役として人気歌手ミス・コロンビアこと松原操さんがゲスト出演しているのも見どころ。劇中の挿入歌『乙女の歌』は松原操さんの歌。