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皆さん,こんにちは。
生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。
前回に引き続き,第4章「〈新しい文化〉を創造する〈言葉の力〉―「鍛地頭(「地頭」を「鍛」える)」とは―」をお届けいたします。
具体的な「鍛」え方は,今後に譲ることにして,ここでは所謂当塾名の由来となった「鍛地頭(=「地頭」を「鍛」えること)の理論についてお話いたします。
なお,この理論は当塾オリジナルのものですので,ご海容の上,ご批正ください。
【これまでの「塾長の述懐」シリーズ第11弾】
- 「「地頭」とは―「地頭」を定義する〔11-3〕」(小桝雅典,アメーバブログ,2019.6.12)
- 「「地頭」を「鍛」えれば受験はクリアできる〔11-2〕」(小桝雅典,アメーバブログ,2019.6.8)
- 「1点にしがみ付く受験のための補習授業―「地頭」を「鍛」えれば受験はクリアできる〔11〕―」(小桝雅典,アメーバブログ,2019.6.1)
我々は「間主観的拘束性※6により「自らが生きた時代や所属した共同体の精神及び認識(イデオロギー・共同主観)」(=時代及び各種共同体言説)に,固有の生活背景に起因する「個性化された認識」を加味した「語り」」※ⅰを語る存在です。その「語り」の基盤となる時代の推移は言語の位相を生じ,各種共同体は固有の言説を醸成します。つまり,「時代」及び「各種共同体」という枠組み,すなわち「構造」は我々人間の意識(やものの見方・考え方)を構造化します。その「構造」こそ「文化・文明」であり,それは「言語」に他なりません。このように考えれば,我々人間は「言語(世界)」の枠組みの中で,「言語に規定され」ながらものを考え,感じているのです。要するに,「意識」「感性」「情緒」は「言語」を離れて存在しているのではなく,「 すでに言語的なもの(大胆に表現するならば,「言語≒意識・感性・情緒」)として 」存在していると考えることができるのです。
だからこそ,(高次の)「豊かな感性」を磨くためには,〈言語能力〉と〈言語運用能力〉を鍛えることが最重要であるということになります。
このことは,「思考力・判断力・表現力(・俯瞰力)」の育成においても同様に述べることができるわけです。――「思考すること」「判断すること」「表現すること」(「俯瞰すること」)は全て「言語」に依拠している(大胆に表現するならば,「言語≒「思考すること・判断すること・表現すること(・俯瞰すること)」)のですから。――
中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チームは,「言語―思考・感性・情緒等」関係を「資質・能力の育成―言語能力」関係の中で捉えており,「整理メモ」の体裁でインターネット上にアップしていますので,是非参考にしていただきたいと思います。かなり長い引用となりますが,肝心な事柄ですので,次にその一部を引用しておきます。
2.資質・能力の育成と言語能力との関係について
・子供は,乳幼児期から身近な人との関わりや生活の中で言語を獲得していき,発達段階に応じた適切な環境の中で,言語を通じて新たな情報を得たり,思考・判断・表現をしたり,他者と関わったりする力を獲得していく。このように,言語は,子供たちの学習や生涯にわたる生活の中で,極めて重要な役割を果たしている。
・言語能力は,国語科や外国語科のみならず,全ての教科等における学習の基盤となるものである。例えば,「論点整理」が提示した資質・能力の三つの柱に照らせば,以下のように考えることができる。
1 個別の知識・技能
・学習内容は,多くが言語を用いて表現されており,新たな知識の獲得は基本的に言語を通じてなされている。
・言語を通じて,知識と知識の間のつながりを捉えて構造化することが,生涯にわたって活用できる概念の理解につながる。
・具体的な体験が必要となる技能についても,その熟達のために必要な要点等は,言語を用いて伝えられ理解されることも多い。
2 思考力・判断力・表現力等
・教科等の本質に根ざしたものの見方や考え方の獲得は,各教科固有の学びのプロセスを通じて行われる。このプロセスにおいては,情報を読み取って吟味したり,既存の知識と関連付けながら自分の考えを構築したり,目的に応じて表現したりすることになるが,いずれにおいても言語を通じて行われる。
3 学びに向かう力,人間性等
・子供自身が,自分の心理を意識し統制していく力や,自らの思考のプロセスを客観的に捉える力(いわゆる「メタ認知」)の獲得は,心理や思考のプロセスの言語化を通じて行われる。
・言語を通じて他者とコミュニケーションをとり,相互の関係を築いていくことにより,思いやりや協調性などを育むことができる。
→言語は,全ての教科等における資質・能力の育成や学習の基盤として重要な役割を果たしており,言語能力の向上は,学校における学びの質や,教育課程全体における資質・能力の育成の在り方を左右する,重要な課題として受けとめる必要がある。
中央教育審議会 > 初等中等教育分科会 > 教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム > 教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム(第3回) 配付資料 > 資料5 言語能力について(整理メモ)平成28年1月13日(水曜日)10時00分~12時00分,下線は筆者が施しました(以下,同様)。…c
因みに,引用文中の「いわゆる「メタ認知」」は当塾の基本的な実践項目である「〈相対化〉」の一側面を意味しており,この営為も「言語を通じて」行われるものであることが分かります。また,当塾の基本理念である〈恕(=思いやり)〉も「言語を通じ」た「他者とのコミュニケーション」により育まれるものであることを確認しておかなければなりません。
言葉の力(提供 photoAC)
ところで,かつて私は「青天の霹靂 ― 一人ひとりが輝く育児 ― 〔第1回〕」(小桝雅典,当塾公式ホームページ,2018.5.14)で,次のように指摘したことがあります。
教育のみならず,
人の営為はすべて〈言葉〉で紡がれています。
誰しも,脳裏でものを考えるときには,
〈言葉〉で考えているわけです。
他者の「言葉」を聴き,自らの脳裏のスクリーンに描かれるイメージも,
〈言葉〉によって再構築されているわけです。
だから,脳裏に蓄積される〈言葉〉の数が多いほど,
深く・幅広くものを考えることができるのです。
極端な例ですが,3つの〈言葉〉しか持たない脳よりも,
100個の〈言葉〉を持つ脳の方が,考えが深く・広いはずなのです。
勿論,知としての〈言葉〉を活用・運用できての話ですが。
育児も〈言葉〉で織りなす尊い営為だと思います。
育児にかかわる,特に保護者が〈言葉〉豊かに,優しく,
乳幼児(こども)に表情豊かに語りかける。
乳幼児(こども)は,その保護者の〈言葉〉と表情を感知する。
万一,保護者の〈言葉〉がいわゆるボキャ貧だったら……
仮に,表現(パフォーマンス)力に不足していたら……
これは「ボキャ貧」の「保護者」を揶揄する目的の文章ではありません。要するに,私はこの文章によって,〈言語能力・言語運用能力を鍛錬する重要性〉を指摘しようとしたのです。自己に係る〈言語能力・言語運用能力の鍛錬〉は自己存在の枠組みで収まることなく,自らのこどもを含める他者の〈言語能力・言語運用能力〉に影響を及ぼします。
まだ研究途上の「ミラーニューロン」。
人の場合,新生児から生後12か月頃までに発達すると考えられているようですね。
・他人の動作を見て,自分のことのように共感する。
・他人の意図を理解して,次の行動を予測する。
・言語を獲得する。
などの機能があるとか。
仮に,こうした研究の結果が〈真〉であるならば,
乳児の教育は重要な意味を持ってくると考えられますよね。
「朝,しんどくても,保護者が笑顔でいる効果とは? ―「礼」? 「ミラーニューロン」?―」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.5.23)
ミラー‐ニューロン(mirror neuron)
他者のある動作を見たとき,自分もその動作をしているかのように反応する神経細胞。霊長類のマカク属で発見され,ヒトにおいても同様の脳神経活動が見られる。他者の模倣を通じ,他者の意図の理解や言語の獲得に役立ち,共感などと深い関わりがあると考えられている。
コトバンク:ミラーニューロン(英語表記)mirror neuron,デジタル大辞泉の解説
一人ひとりの人間の〈言語能力〉と〈言語運用能力〉が鍛えられれば,それぞれが帰属する各種共同体の〈言語能力〉と〈言語運用能力〉は高まり,延いては,それはその時代に住まう各種共同体の「問題解決能力」,「思考力・判断力・表現力(・俯瞰力)」及びそれらを「継続する能力」並びに「豊かな感性(人間関係形成能力)」を高め,高次の文化・文明を紡ぐことにつながっていくのです。
事は重大です。
そこで,〈言語能力〉と〈言語運用能力〉の定義を確認しておきましょう。
まず,〈言語能力〉について,当塾の「地頭」の定義と通底する概念が,先程ご紹介した中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チームによる「整理メモ」にまとめられており(平成28年1月13日),――確定稿ではないことを念押ししておきます。――また,『大辞林 第三版』の解説と読み合わせると,より良く理解できるのではないかと思いますので,それらを引用しておきます。
1.言語能力について
言語の果たす役割は,これまでの各種会議等の議論の成果を踏まえ,以下の三つの側面から捉えることができる。
1 創造的思考(とそれを支える論理的思考)の側面
2 感性・情緒の側面
3 他者とのコミュニケーションの側面
前掲資料c
げんごのうりょく【言語能力】
ある言語の話し手が母語についてもっている言語構成能力や知識。「言語運用」と対比される。チョムスキーの用語。
コトバンク:言語能力(読み)げんごのうりょく 出典 三省堂
一瞥すると,「創造的思考(とそれを支える論理的思考)」と「他者とのコミュニケーション」は当塾の「地頭」の定義における「問題解決能力」の領域に整理されており,「感性・情緒」は「豊かな人間関係形成能力」に整理されていることが分かります。また,「言語能力」として「感性・情緒」を採り上げていることは,先程来,指摘してきているように,「言語―意識(感性・情緒)」関係を「意識が言語に先立つのではなく,言語が意識に先立つ」とする同一の思考の台座で思考していると言って過言ではないでしょう。――ソシュールやウィトゲンシュタインが提唱した言語観が構成した20世紀的な「知」の枠組みから考えれば,当たり前のことですが。――さらに,引用文には「言語には,具体的な発声や文字による言語活動である一般的な言語(外言語)の機能のほか,音声や文字を伴わない,思考や概念,それらの体系の獲得・操作を行う内なる言語(内言語)の機能があり,三つの側面のいずれにおいても,これらの機能が働いていることに留意する必要がある。」との脚注が付されており,〈言語運用〉との比較の側面からも特筆すべき内容であることを指摘しておきたいと思います。
続いて,〈言語運用能力〉の定義です。『大辞林 第三版』の解説(コトバンク:言語運用(読み)げんごうんよう 出典 三省堂)の一部を拝借すれば,「ある言語の話し手が母語の知識(言語能力)を時間軸に沿って用いる能力」,「実際の言語行動を可能とする能力」ということができます。
これで,「言語能力」と「言語運用能力」との連関が明らかになるはずです。語弊を恐れず,端折って,端折って,平易に述べれば,言語構成能力や知識(言語能力)を用いる能力が「言語運用能力」ということです。また,「言語運用能力」には,「言語」を「運用」する「意欲・関心・態度」を含めて考えるべきだとも思います。
ただ,ここで新たな疑問として,「言語運用能力」と「コミュニケーション能力」との相違が浮上してくると思いますので,分かりやすい解説をご紹介しておきます。
言語運用能力とコミュニケーション能力との違いは,前者は文字通り言語の運用に焦点を当てたもの,後者はそれに加えて,ジェスチャーや顔の表情,アイコンタクトといった非言語的要素(非言語的要素による意思疎通を非言語コミュニケーション,あるいはノンバーバルコミュニケーションといいます。)やコミュニケーション前後の文脈に対する理解や配慮などまで含まれている,という点に違いがあります。
言語運用能力は,さらに語彙レベル,文レベル,談話レベルの運用能力に分けることができます。
篠﨑大司(SHINOZAKI DAISHI):キーワード解説「け」 言語運用能力(げんごうんようのうりょく),日本語教師篠崎大司研究室
このように考えて来ますと,当塾が定義する「地頭」を「鍛」えるには,(乳)幼児期からの〈言語能力〉と〈言語運用能力〉の鍛錬が重要であり,こどもたちにかかわる保護者を含めた周囲の大人たちの存在は,換言すれば,周囲の大人たちの〈言語能力〉と〈言語運用能力〉はこどもたちの成長に多大な影響を与えるという結論に至るのです。したがって,繰り返しますが,事は重大なのです。――事の重大さの詳細については,別の機会に述べることにしますが,だから,私には現代の「ブログ言説」が気になって仕方がないのです。そこで,当塾のシリーズ物ブログ「The パクるな!!」の中で,「ブログ言説」の〈相対化〉を試みようとしているのです。(頁末の「関連 当塾の「The パクるな!!」シリーズ」をご覧ください。)――
要するに,「地頭」を「鍛」える(=「鍛地頭」)とは,乳幼児から大人までの〈言語能力〉と〈言語運用能力〉を鍛えることなのです。また,それは「創造的思考(とそれを支える論理的思考)力」,「感性・情緒」及び「他者とのコミュニケーション能力(〈対話力〉)」を育てることでもあるのです。
それが当塾を「鍛地頭-tanjito-」と命名した所以なのです。
※ⅰ 「語りの構造を踏まえた読みの授業に関する研究―古文の授業構築を中心に―」(小桝雅典,1998(平成10)年度 広島大学大学院教育学研究科 教科教育科学専攻 国語教育学 修士論文,※6 「相互主観性」とも言う。「フッサールの用語。複数の主観の間で共通に成り立つこと。事物などの客観性を基礎づけるものとされる。」(『大辞泉』 松村明監修 小学館 一九九五) 「共同主観」も同概念を示すことばである。)
- 「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.15)
- 「「現代ブログ言説」を〈相対化〉する―前夜祭(Eve)―」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.10)
- 「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第3回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.6)
- 「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第2回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.1)
- 「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第1回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.29)
次回「「大学入学共通テスト」は不要です。―ポストモダン終焉期の実相〔12-1〕―」につづく。
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