同化していた音楽との別離 | 3年前のしこうの楽しみ

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アイデンティティに変化が出ると面白いものです。
当然のことでしょうがそう思います。
自然と感じ方が変わってくるのです。
 

結果的に何かを承認することになるのでしょう。
今回は音楽が好きだという認識が生じてきました。
客観的には驚くようなことではありません。
 

観察した結果としては事実のようなものです。
そうでなければ突き詰めて追いかけられなかったはずです。
プロを目指すこともなかったと推測されます。
 

ただここまで主観的にそのように感じられたことはない気がします
あまりにも身近すぎてとらえられなかったわけです。
日常の一部になっているものはそんなものかもしれません。
 

ということは距離感が出来たのでしょうか。
確かにその可能性はあります。
そのように見つめると昔は音楽と同化していたことが自覚されました。
 

むしろそれを望んでいたとも言えます。
まさに音楽の一部に自分がなろうとしていた感覚でした。
もちろんそこには一定の心地よさがありました。
 

でも投影だったのかもしれません。
神聖なるものとの一体感を求めてのことだったと想像します。
しかしそれこそが音楽のもつ魔力のようなものとも考えます。
 

いつしかそこから外れて客体として音楽を見つめられるようになったのだと推測します。
思い返せば一年ほど前のコンサートの影響があった気はします。
短期間にベルリンフィルとウィーンフィルを聴きにいった件です。
 

その時はこれといった明確な受け取りをとらえたわけではありませんでした。
とはいえ意味もなく卒業のような感覚はありました。
どことなくこれで最後という雰囲気だったのです。
 

おそらくそれは同化からの脱却を意味したいたのでしょう。
音楽と向き合う立ち位置がそこを起点として潜在的には移行していったと振り返ります。
自己価値がそこに混ざっていなかったからその変化が早く進んだのかもしれません。
 

純粋に楽しめる状態になれたとも体感します。
逆説的なものです。
希求しているうちは対象の自分にとっての価値を認識できないわけです。
 

でもこれは世の常であり様々なところに顔を出している普遍的な摂理なのかもしれません。

谷 孝祐
2020.10.29