基底層にきた音楽的感性 | 3年前のしこうの楽しみ

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いつの間にかプロセスが進んでいったのでしょうか。
確かにそうなのかもしれません。
特に10月後半はそれが大きいような気もします。
 

ともかくそんなことを感じる発想が出てきました。
直接的には社会情勢に対する興味を定義したことの影響だと推測します。
それは半ば諦めだったのでしょうか。
 

単に集合意識への帰属度が低減したからなのでしょうか。
いずれにせよ結果的によりクリアになったのでしょう。
より本音が自覚しやすくなった気はします。
 

ナチュラルな感覚に共鳴し続けられる度合いが上がっている雰囲気です。
そして同時にアイデンティティがずれている体感が出てきました。
少し前に整理が済んだばかりなのにもう移行していたわけです。
 

もちろんそこに働きかけようとしたわけではありません。
でも定着していたわけでもありません。
もちろん固執する必要もないことです。
 

だから揺らいだのでしょう。
投資的マインドに音楽的感性が乗っているというのはどこか違うように思えてきたのです。
これもステップの一つだったということでしょう。
 

ということで改めて見つめ直してみました。
とはいっても意識を向けたらすぐにわかったようなものです。
どうやら逆転していたようでした。
 

つまりベースが音楽的感性でそこに投資的マインドが乗っているイメージです。
結局振り出しに戻るようなものでしょうか。
揺り戻しなのでしょうか。
 

一見すると音楽家というアイデンティティに戻ったのとあまり変わりありません。
最重視されるのが音楽なのです。
ただそのように捉えると以前とは違う側面にフォーカスが当たりました。
 

あくまで昔は演奏者としての音楽家という意味合いだったのです。
やはり無意識的に自己価値を投影している部分が混ざってのことでしょう。
そこが消え去って純粋に音楽的感性に昇華したのかもしれません。
 

少なくともオーケストラなどに器楽に囚われなくはなっています。
そのための過程として一旦は投資的マインドを基礎としたのかもしれません。
とはいえこれがぴったりとも言い切れない感じもします。
 

でも結果的に自己の拡大に向かうような予感もします。
両者が離れた位置で共鳴し合うような期待感があります。
ひとまずこの構造で居続けて見守ってくことにします。

谷 孝祐
2020.10.27