能力を生かすエッセンス番外2 | 3年前のしこうの楽しみ

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能力発揮そのものの意義を見つめようと思います。
どことなく大前提の確認が重要な気がしたのです。
だからこそ次のテーマに進めなくなったのかもしれません。
 

もちろん体のことが完了していない可能性もあります。
肋骨下部で話題が止まっているわけです。
とはいえ目的が重要なのは確かです。
 

ということでどうするにせよここと向き合ってみることにしました
個人的には当たり前すぎて意識化しなかったのは確かです。
それ無くして生きる意味があるのかと疑問に思わなくもありません
 

確かに子どもの頃から能力を伸ばすことに興味がありました。
脳の機能の大部分を使っていないのであればなんとかして活用してみたいとも感じました。
それがあったからこそ色々学んだのもあります。
 

これによって自分の世界観に固執せずに新たな要素を取り入れられたのかもしれません。
そこに音楽を志向したのが乗っかって加速した気はします。
毎日のように向き合うことになったわけです。
 

一時期は能力を生かせない者は価値なしくらいに話していた時代もあったものです。
まさに若気のいたりの許容のなさでしょう。
最近知りましたが高校時代は少なくとも5年後の後輩にまで怖い人として語られたらしいです。
 

しかし一般的にそうとは言いきれないことも今は理解はしています
確かに昔は相当シビアでそれを他人にも課していたことでしょう。
音程が合わせられない意味が分からないという心境でした。
 

とはいえまだここは大きなギャップがあるのかもしれません。
つい昨日もとある質問からそう感じました。
そんなわけで自分には当たり前の能力発揮のメリットを伝える必要がある気もします。
 

ただだからこその難しさもあります。
さておきともかく意識をそこに集中してみました。
すると見えてきたのは自己肯定の基本であることでした。
 

まさにそれが自分を生かすことであり価値を体現することになるのです。
同時に生きている意義を自覚することにも関係するでしょう。
結果的にそこから得られる何かもあるのだと思います。
 

だから他者と関わる社会性の向上にも寄与する感じがします。
外の世界に向けて働きかけるわけです。
そして関わりの中の相互作用で相乗効果を得ていけるイメージです
 

デメリットがあるとすればそれだけ労力がかかるということくらいでしょう。
ストレス過多で疲れ気味の人生であればそちらに傾くのも仕方ないのは分かります。
いずれにせよ能力発揮へのコミットメントは強めていきたいものです。

谷 孝祐
2020.10.25