能力を生かすエッセンス番外1 | 3年前のしこうの楽しみ

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お休み回の文章を書いてからこの先どうするかを考えていました。
どことなくすぐに仕事のフェーズに入る気がしなかったのです。
少なくとも今週はまだ進めないことが予期されました。
 

原因が曜日にあるのであれば変えることもできます。
とはいえそれも違う感じがしました。
ここまで数年の流れを大切にしたいわけです。
 

ある種のルーティンから蓄積するエネルギーはそれなりに大きなものでしょう。
加えて集合意識的に仕事から離れやすいからこそ受け取りやすい性質もあります。
ということで単に休みにすることも検討しました。
 

先々週と同じです。
でもそれはそれで逃げのようにも思えます。
しかもそれ自体が流れを断つことにもつながりかねません。
 

そうなれば本末転倒です。
だからどうするのが良いのか意識し続けていました。
すると週末が近づいて疑問が出てきました。
 

能力発揮そのものに対する考察が薄い気がしてきたのです。
いわゆるそもそも論です。
なぜ能力を生かすのか明瞭に答えられません。
 

もちろんどことなく触れてきている部分ではあります。
ただ直球で向き合ったことはなかったと推測します。
とにかく前提条件に据えられていたわけです。
 

確かに個人的には当たり前のことです。
与えられた能力があるなら発揮しない選択肢はないという気分です
そしてそれを磨かないことも考えられない状態です。
 

この裏側にあるのは成長欲求なのでしょうか。
少なくとも物心ついた時からあるもののように思います。
それが良くも悪くもこだわりや妥協の少なさにつながってきたと推測します。
 

ということでこのこと自体はヒーリングやリーディングなどとも関係ありません。
ともかく何であれ能力発揮が当たり前なのです。
音楽家を目指したのもそんな気質だったからなのかもしれません。
 

無難にやり過ごすことに魅力を感じられないわけです。
自分という存在の生きる衝動がここにあるのかもしれないとも思います。
しかしそれはあくまで個人レベルのものです。
 

誰しもがそうだとも思っていません。
だとしたら掘り下げてみる価値はあるでしょう。
より深い自己理解にもつながるわけです。
 

そんなわけで向き合ってみることにします。

谷 孝祐
2020.10.18