手放した教育改革の夢 | 3年前のしこうの楽しみ

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海に対する感じ方の変化はより自己一致した状態の表れだったのでしょうか。
全く別件ではあるものの潜在意識ではつながっている感じのするテーマが明らかになりました。
忘れていたものでもありません。
 

頭の片隅にいつもあった分野です。
でもどことなく避けてきた気もします。
諦めて追いやられていたような性質です。
 

それが突然のように意識の中央に戻ってきたかのようでした。
これは次なる生きる目的につながるのかもしれません。
人生のステージが変わって改めて戻ってきたのかもしれません。
 

だからこそ明確にキャッチしたのだと推測します。
ともかく若かりし頃に感じたことが鮮明に知覚されたのでした。
確か中学2年の頃だったかと思います。
 

進路選択に悩んでいた時期です。
はっきりと決めたことがあったのでした。
これは学校の先生にはならないということでした。
 

反発心や反抗心からではありません。
その世界のしがらみを中学校の教員だった父親の傍で感じていたからです。
ヒエラルキーの内側から変化を起こすのが不可能に思えたのです。
 

この前提に教育が変わらなければ日本は衰退するという想いがありました。
なかなか切実な推測でした。
そんなこともあって将来の職業の選択肢に学校の先生もあったのです。
 

しかし最終的に教師になったら自分の想いも無為に終わると判断したわけです。
もし働きかけるとすれば外部視点からだと結論付けていました。
少なくともこれは今でも間違っていなかったと思います。
 

個人的には学校教育にそこまでの不満はなかったのであえて戦う気も起きませんでした。
だから将来的に海外移住することも考えたりしました。
単なる逃げの発想でしたがそれだけ実感があったわけです。
 

時が経ってやはり当時懸念していた通りになっている印象です。
ここに対して顕在的には無関心に近かったのが一変した印象です。
何かが変わらなければ衰退の一途でしょう。
 

明るい未来が描けなくても仕方ないのかもしれません。
問題ばかりに感じる人もいることでしょう。
とはいえ今さら自分に何ができるのでしょうか。
 

見つめてみることにします。

谷 孝祐
2020.7.16