象徴的な飲み物忘れ | 3年前のしこうの楽しみ

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何かがおかしかったのでしょうか。
今までにないことをしてしまいました。
それは羽田空港を車で出発して首都高にのってからのことです。
 

ふと気づけば直前に買っていた飲み物がなかったのです。
疲れていたのかもしれません。
荷物がいつもより多かったことが直接的原因とも言えます。
 

思い返せばひとまずボンネットに置いた映像が浮かんできました。
そうしないとドアが開けられない状況だったのです。
これはたまにあることです。
 

しかしそのまま出発してしまったのでした。
こんな失敗は初めてです。
駐車場のどこかで落としてきていることでしょう。
 

とりあえず無駄にしてしまったわけです。
加えて掃除する誰かに迷惑をかけてしまいました。
どうであれ意識が散漫だったわけです。
 

目の前のことへの集中度が落ちていたと考えられます。
そんなわけでなぜそれを引き起こしたのか考察してみました。
内面的な理由を探ろうと思ったのです。
 

最初は本当は飲みたいとも思っていなかったという解釈が浮かびました。
確かに似たようなものを朝にも飲んでいました。
観念的に買った可能性もなくはありません。
 

しかしその割には残念な気分がありました。
少なくともどちらかと言えば飲みたかったことは確かなようでした
それが認識できると思考が違う方向に展開しました。
 

その分を受け取ろうというベクトルに意識が向かったのです。
金額はたいしたことはありませんがこれはこれで意味があったのでしょう。
もちろん忘れてしまったことについて自己否定感が出てきたわけではありません。
 

ただどことなく些細で恒常的な何かがあったことが自覚されました
否定感の種のようなものでしょうか。
無駄にすることと迷惑をかけることを自己承認しきれていないことが知覚されました。
 

許容できているけれど避けようとしているバランス感です。
だから今まではそれが働いてそういうことを起こさないようにしていた構造だったわけです。
気の緩みでそれが顕在化したのかもしれません。
 

ということで今回はリカバリー的に受け取ってしまったものの無駄や迷惑もそのまま受け入れることを意図しました。
何となくその方がリラックス感が高まる気がしました。
まずはこれを安定させることにします。

谷 孝祐
2020.1.31