主体性一辺倒の立ち位置から脱却か | 3年前のしこうの楽しみ

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いつからのことでしょうか。
少なくとも今年に入ってからだと記憶しています。
じわじわと課題意識が高まってきていることがあるのです。
 

それは大きな変化の予兆なのかもしれません。
ともかく今まで通りでは磁場に合わなくなっている気分が高まってきているのです。
おそらくこの2週間くらいで顕在化してきているのではないかと思います。
 

具体的なテーマは立ち位置です。
プロセスだけでなく結果への意識の重要度が上がってきているからなのでしょう。
主体性重視で人と関わっているだけでは遅い感じがしてきたのです
 

実際にこれまでは個々が学べるペースを大切にしてきました。
要は自力で進むことを目論んでいたわけです。
だからそこに何らかの力をかけることはしないようにしていました
 

いうならばやるかどうかについても自主選択を求めていたわけです
当然ながら紆余曲折にも価値があるわけです。
やらなくてもそれなりに前進していれば十分に承認できることでしょう。
 

一歩一歩を確実に積み上げることは基本中の基本です。
もちろんこの前提が変わるわけではありません。
しかしそれだけでは時代遅れになっていく可能性が高まってきている予感があります。
 

確かにその立ち位置は存在肯定的であり相手を尊重するものです。
でも結果的に行きたいところに近づけないようになってしまうのであれば考えものでしょう。
人生を変えたいと思いつつ理想には到達できないままになるのは残念なことです。
 

もちろん完全に主体的に自主的にそこに到達できればいうまでもありません。
本当に本人にとって再現性の高い力になります。
かといってそれが可能な人も多くないのかもしれません。
 

こちらが方向を示しつつやってくるのを待っているだけでは難しいのかもしれません。
この事実を直視せずにここまできてしまったとも思います。
現実世界で何かを実現しようとするなら成長スピードが求められるのも事実でしょう。
 

そこに実感がある人は少ないのでしょうか。
そうだとしたらもう少し強制力を働かせないといけないのでしょうか。
言動レベルでそうしないにしても立ち位置としての圧力が必要だとも考えられます。
 

とはいえそれは今までの禁じ手です。
そうすることで依存しやすくもなり実力を勘違いしやすくもあります。
珍しくジレンマ的岐路に立たされているように感じます。
 

良い方法がないのか整理して模索していくことにします。

谷 孝祐
2020.1.29