人間を見つめ直すメッセージ | 3年前のしこうの楽しみ

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一週間ほど前のことです。
夕暮れ時にタクシーで移動していました。
それと関係あるのかどうかは不明です。

ただそれまでのプロセスの上でのことでしょう。
ふと気づいたことがありました。
これはアイデンティティに関わるものです。

自分にまだ残っているものが感じられたのでした。
確かにそれはありそうなものでした。
でもどちらかといえば一般論のような気分でした。

実感度が薄かったのです。
自分も同様にそれはあるはずだけど実体がない様子でした。
概念的にその存在は確実なはずだけど手づかみ感がとらえられなかったわけです。

だからその時は特に扱わず置いたままになっていました。
時間を取るまでにいたらなかったわけです。
でも無意識的な抵抗があったとも言えるかもしれません。

とにかく放置になっていました。
特に緊急性を感じなかったのもあります。
記憶に残っているものの先延ばしでした。

とはいえいずれは扱うつもりでいました。
そして5日ほどが経ちました。
面白いものです。

重なるようにノックはやってくるのでしょうか。
同じ内容を暗示する出来事がありました。
食事の席のちょっとした会話でのことです。

我が子が突然変わった言及を始めました。
具体的には一人一人に対して人間か人間じゃないかを言い始めました。
もちろん遊び程度のものととらえられなくはありません。

ただ意味深ではあります。
少なくとも両親どちらも人間じゃないという評価でした。
ちなみに本人自身は人間らしいです。

これは最後のアイデンティティとして約一週間前に推測されたものと共時的な印象でした。
つまり自分には人間であるという認識があるのではないかという視点です。
当然のようにありそうなものです。

とはいえ考えたことのなかったエリアに光が当たったのは確かでしょう。
ひとまず今年最後の内面的課題として見つめてみることにします。

谷 孝祐
2018.12.26