スキーに対する心理的価値がなくなったからでしょうか。
珍しくレッスンでのポイントを振り返る気になりました。
今までの楽しく滑れれば良いという発想の中ではあまりないことです。
なので思い返せば随分と変わったものだと実感しました。
確かに昔はスキーに非日常の感覚がありました。
だからなのか心理的高揚もありました。
当然のように上達への興味もありました。
だけどそういったものがどうでも良くなってしまったのです。
もちろんこの兆候は何年も前からありました。
もう5年以上は経つのでしょうか。
モーグル主体でやってきてつまらなくなった時期がありました。
それまでのような積極性はなくなっていました。
そんなこともあり若い頃のようにわざわざ一人で行くこともなくなりました。
そのため違うエッセンスを必要としていました。
当時はバックカントリーに行くかとも考えました。
実際に気軽に体験できる程度は足を踏み入れてもみました。
とはいえ移住しないと理想的なタイミングには遭遇し得ないような気がしました。
雪山を何時間もかけて登っても滑り降りるのは一瞬です。
そこまで頑張れない気もしました。
ということでひとまず基礎スキーのレッスンを受けるようになりました。
消去法で最もスタンダードなところに落ち着いたわけです。
そこからどことなくスキーと関わる意義を探していました。
たいして楽しくもないけれどそれを通じて得られるエッセンスの魅力は理解していました。
だからこそ続けたわけです。
でもどちらかといえば後ろ向きでした。
レッスンは上達のためというよりつまらなさを紛らわせる方法だったのかもしれません。
自分より上手な人と滑るのはいつもと違う刺激が得られるわけです。
ただ潜在意識は基礎の徹底に向かわせていた気もします。
覚醒スキー合宿で教えることもあり実質的にゲレンデにいる時間は長くなっていきました。
一人で滑ることは皆無に近づいたけれど逆にスキーに接する時間は長くなったのです。
趣味から仕事に向かっていった感覚かもしれません。
教えて上達していく姿を見ればそれはそれで面白いものです。
その結果としてさらにスキーの有効性を受け取っていました。
ただこれは主観と客観における価値認識の乖離へとつながっていったように思います。
それ自体はたいして興味ないけれど客観的価値が高いから屈している状態です。
自覚しない苦悩のようなものがあったのかもしれません。
よく考えれば今回の気づきはそこからの脱却だった感じもあります。
やっと自己一致して向き合えそうです。
谷 孝祐
2018.12.25