小学生時代の弱い自分の記憶 | 3年前のしこうの楽しみ

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身体に関するセルフイメージに意識が向いたところからの展開です。
まず気づいたのはこの部分でのアップデートが行われていないことでした。
おそらくこの10年くらいで実際には大きく変化してきていると考えられます。

それが顕著に表れているのは不調がほぼなくなったことでしょう。
もしかしたら疲れにくくもなってきている気はします。
筋力がついて体つきも運動をしている人のようになったかもしれません。

客観的には明らかに違ってきているわけで。
しかしそれが主観に影響を与えていないのです。
改善を希求していたわけではないので不具合が除かれても実感は強くないのかもしれません。

どこか他人事の風合いです。
これは調子が悪くとも気にせず活動するタイプだったことが原因かと推測します。
中学生以降はあまりそれによって休むようなこともありませんでした。

精神力で持っていたのでしょうか。
特に気にせず対処しながら動くのが当たり前でした。
好きなことをやっているとそんなものなのでしょう。

だからなのかいつの間にか現状が得られている印象です。
苦しい努力をしたわけではないため自然にこうなってきた感覚なわけです。
その弊害とも言えるのでしょうか。

こういったプロセスのため固定観念には刺激がいかなかったのでしょう。
今更ながらその不一致さを認識できたわけです。
ということで内省することでそれを探ると小学生時代のイメージが浮かび上がってきました。

当時は体が思うようにいかなかったのです。
運動も苦手というほどではないけれど得意でもありませんでした。
季節の変わり目には必ずといって良いほど喘息の発作になって学校を休んでいました。

特に秋は苦しい地獄のような季節でした。
死んだ方が楽だと思うことも何度もあったかもしれません。
風邪やインフルエンザも縁のあるものでした。

扁桃腺が腫れて入院したこともありました。
この歳になって振り返れば生きることへの抵抗か自虐か何かだったのだと思います。
何となく行きたくない学校を休む口実だった可能性もあるでしょう。

ただ当時は弱い自分を嘆いて諦めていたと推測します。
久しく忘れていたこんな記憶が出てきたのでした。
きっとこれが潜在意識深くに定着していたのでしょう。

表面化せずとも何らかの影響は与えていそうです。
結局これもインナーチャイルドのようなものでしょうか。
うまくクリアして自己一致した認識に書き換えていくことにします。

谷 孝祐
2018.8.16