小学生時代の弱いセルフイメージに意識が向いたところからでしょう。
当時はなかなか怖れが大きかったことが思い出されました。
もちろんその前提には不安があったと考えられます。
とにかく生きていくことに自信がなかったのかもしれません。
自己価値を認められていなかったことは確かです。
体も小さい方で喧嘩にも勝てそうにありませんでした。
そもそも争うことは好まずうまく立ち回る性質だったと思います。
社会の状況を知って暗い未来を妄想しがちでもありました。
本当に世界が滅びるような気もしていました。
だからこそ将来のことも熟考するようになったのだと推測します。
これは結果的に自分の人生における重要なメリットでもありました。
未来を推し量る思考力につながったわけです。
しかしその頃の身体的イメージが未だにブラインドになっていたようです。
これは一抹の自己否定とも言えるでしょう。
虚弱な自分が心のどこかに隠れていたわけです。
でも本当はそこまででもなかった気もします。
いつしか切り捨てられた自分としてこれが残っていたのかもしれません。
思い返せばどちらかというとその逆の認識が大きかったのかもしれません。
確かにこれはあまり顕在化しなかった部分のようにも感じます。
このように意識を向けると埋もれていったきっかけがとらえられました。
まさに人生の転機だったのでしょう。
5年生で三浦に引っ越してからはその弱さがバネとして使われる傾向になった気がします。
生活環境がそうさせたのでしょうか。
学校を休むことも激減して生きる自信がついてきたのかもしれません。
それ以降は主体的な在り方が定着していった雰囲気です。
その結果として弱いセルフイメージが見えなくなってしまった可能性はありそうです。
ということで適正化と統合に向けて見つめることにしました。
まずはその頃の感覚を十分に味わっていくことにしました。
そうはいっても観念レベルの残骸からは大きな知覚は生まれてきませんでした。
なぜ書き換えが進んでいないのかというと無自覚に良い循環に入ったためです。
なのでこのきっかけを偶然ではなく自主選択であるように認識の改善を行ってみることにしました。
転校を自分の潜在意識が求めたものだと位置付けてみたわけです。
友達との別離の寂しさ以上に新たな生活への希望は大きかった記憶が出てきました。
しばらく言語化しにくい感覚が動いて最終的にはこの改善はうまくいったようでした。
こうして弱さは人生の一時点のものであり必要なものであったという理解に行き着きました。
しかし一筋縄にこれだけで解決とはいかないようでした。
成長過程をプロットするように丁寧なアップデートが必要な様子だったのです。
いきなり現在に合ったイメージに持っていこうとしても無理がかかるように感じたのでした。
そんなわけで気長に取り組んでみることに決めたのでした。
谷 孝祐
2018.8.18