夏になると巡ってくる体感覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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暑い日が続いている中でふと感じることがありました。
おそらく例年のようなことですが今年はそれが明確になったようです。
なので何となく触れたことのある話題かもしれません。

ただどことなく切り口は違うと思います。
そのきっかけは実家を訪れたことでした。
どうもそこで感じる暑さは独特なものがありました。

異常ともいえる気温が刺激になったのでしょうか。
確かにそれは地勢を表しやすいのかもしれません。
とはいえそう感じるのはあくまで自分だけという可能性もあります。

各々が地元に帰れば同じように感じる可能性はあるわけです。
これも一つインプリントということなのでしょう。
そこでの空気感はどことなく過去の感覚を想起させるのでした。

自分にとって夏の一番の記憶といえば部活です。
吹奏楽部だったため当然ながらそこには音楽が伴います。
ということで勝手に頭の中を曲が流れることもあります。

でも体感に比べるとそれも弱いものです。
何だか体に染みついているという気分です。
言語化しにくい皮膚感覚のようなものがあるようです。

もちろん悪いものではありません。
一般的にいうならば青春を謳歌した記憶とも言えるでしょう。
ただその感覚は条件づけられてしまったかのようでもあります。

今となっては20代半ばまでその世界に関わった理由もそこにあったかのようにも感じます。
みんなで一つの目標に向かう体験は得難いものだったはずです。
思春期におけるその体験は人生への影響度が大きかったと推測します。

そうなると未だにそこに縛られていると考えることもできるでしょう。
視点を変えればこれも反応なわけです。
穏やかであるもののパターンであることには変わりありません。

やっとこれを手放せる時が来たのでしょうか。
こんなことを思うとふと思い出されたことがありました。
今夏で音楽家を目指すのをやめて12年になります。

このサイクルになんらかの意味があるのでしょうか。
ある種の浄化のプロセスは進んだのかもしれません。
次第にそことの関わりが減っていった期間でした。

そう思うと合唱指導が始まるというのは面白いタイミングだと思います。
どうであれ自覚できていない音楽との関わりについての流れがあるように感じたのでした。

谷 孝祐
2018.7.21