様々な生き方を認める基礎 | 3年前のしこうの楽しみ

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無意識的に好きなことをして生きる弊害への考察から改善を試みることにしました。
もちろん無意識といっても完全ではありません。
むしろその大部分は意識的だったとも言えます。

具体的な選択はそうだったわけです。
なので階層の一番ベースの部分がそうだったという構造でしょう。
これは今まで扱ったことのないタイプのような気がします。

しかし実はほとんどのことがこの性質を持っているのかもしれません。
幼少期に作られた基礎が人生の基盤となっているわけです。
それを意識化して選択肢直すことは通常は行わないことでしょう。

ということでやっとクリアリングの核に行き着いたとも解釈できるように感じます。
本当にフラットなところから生き方を選択し直すわけです。
こんなことを思うと自分がより無色透明に向かっていく気がしてきました。

そしてすぐに取りかかりました。
ひとまず選んだ方法はシンプルでした。
単純にそうでない生き方をしている人がいるということを承認するベクトルです。

観念レベルではすでに十分に理解していることを深層まで落とし込むわけです。
まず前提となっている好きなことをする生き方をキャッチして感じました。
そこに違う生き方があるという価値観で刺激しました。

すると最初はどことなく抵抗感が出てきました。
受け入れたくない様子でした。
とはいえそれは数秒で緩んでいきました。

これで何かが氷解したのでしょう。
そうなると逆に承認することへの残念感が出てきました。
通常であれば自己価値の崩壊と新たなものへの拒絶というところです。

ただそういったテンションはなく穏やかなものでした。
これを感じていくとおそらく1分もかからないうちにクリアしたようでした。
最終的に自分自身に対して好きなことをしないで生きる承認が起きました。

別にどう生きても良いという自由さと放任のような雰囲気が霧のようにやってきました。
一抹の縛りがあったのかもしれません。
好きなことをして生きなければならないという要素が含まれていたことが自覚できました。

ちなみにこのプロセスは電車の中でのことでした。
そんなわけですぐにまわりを見回すと生きるために生きている人が多いことが理解できました。
ふとそれもインプリントされたもののように感じたのでした。

この視点でとらえるとより深い他者理解ができそうです。

谷 孝祐
2018.7.20