勝手に起き始めた移行期 | 3年前のしこうの楽しみ

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理想を描くことへの許可は思わぬ展開を生んだようです。
これは重要な立ち位置の変更だったのでしょう。
まだ移行の半ばではありますが気づきが連鎖していくものです。

実際にはそれが止まる頃に完了することでしょう。
ちなみに今までは現実感とバランス感を重視していました。
可能な限りのベストを尽くしていくイメージです。

アウトプット優先とも言えるのかもしれません。
予想に基づく最高到達点を目指す方法です。
現代社会で生きる上では効率的だと考えられます。

それは無駄な労力はかけないことも意味するからです。
投資対効果さながらに投入エネルギー対成果が高いわけです。
思い返せば高校生の頃からそんなことを考えていたので熟練していたのかもしれません。

わざわざこれを意識していたのは塾講師くらいまでのことです。
確かに音楽家を目指したのはここから外れていましたがその方法は同様でした。
やはり練習効率を気にしたものです。

ただ長期的視野でのそれだったので基礎練習へのフォーカスが強く一見するとそうは見えなかったかもしれません。
いずれにせよこの発想は定着していたのだと推測されます。
なので現在の仕事でそれを意識するようなことはありませんが潜在的には折り込まれているのでしょう。

今や随分と非効率な活動も増えましたがその水面下には同じ発想が流れていそうです。
生産性の低いものでもその中でベストを目論むわけです。
こうなると性分としか言えないのかもしれません。

もちろん至らないことはあったとしても手を抜くつもりはありません。
徹底的といえばそうでしょう。
先入観のある現実から限界までのストレッチは楽しいものでもあります。

日常が非日常との境にあるわけです。
しかし気がついてみればこれも抑圧なわけです。
必要な段階だったとは思いますがこの限界にきたのかもしれません。

現実側からのストレッチだけではジャンプは見込めないのでしょう。
両方が見えて本当のバランスとも言えそうです。
本当の理想をとらえつつ今にある状態を目指していくこととします。

心が現実には極めて実現しにくい世界にありながら体は真っ当にリアリティを生きることは可能なのでしょうか。
なかなか面白い挑戦だと思います。

谷 孝祐
2018.5.31 3:26