諦め人生からの屹立 | 3年前のしこうの楽しみ

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音楽の理想に意識を向けたからでしょう。
何かがはずれたような感じがしています。
きっと手放した理想を手元にもどしたからかと推測します。

結局それは抑圧となっていたのかもしれません。
その蓋が今回のことで開いてしまった気もします。
確かにこの人生は諦めから始まっています。

理想にしがみつくことを辞めたからこそ今があるわけです。
もちろんそれで良かったと思っています。
そこに曇りはありません。

そもそも理想が得られないことが腑に落ちたからこその流れです。
だからこそ見ないことになっているとは思てもいませんでした。
少なくともその感覚はないのです。

やりたいことを抑えるような性質ではないわけです。
むしろそれをやりたいとすら感じない状態でした。
しかし時の流れは皮肉なのかもしれません。

潜在意識下に単に眠っただけで消えたわけではなかったようです。
発掘されるのを待ちつつエネルギーを蓄積したかのようでもあります。
まさにタイミングを待っていた雰囲気です。

確かに今の自分であれば理想を自覚したところで何があるわけでもありません。
それに対する欲動もなければ突き動かされるような力も出てこないわけです。
ただそれはそれとして存在しているだけです。

自覚してもどこか他人事の雰囲気です。
でもこれも一般的な意味と異なりそうです。
そこに主体性が伴うのです。

つまり理想から自立しているということなのかもしれません。
自己価値と完全に切り離れるとそんなものなのでしょうか。
達せられればより自己一致するものの希求する必要もないわけです。

当然ながら若かりし頃であればそうはいかなかったことは明らかです。
きっとそのために否定的で批判的な立ち位置になってしまったことでしょう。
ある種の自己中心的です。

普通と違うのは私利私欲のためでないというくらいです。
でもこれはイデオロギーの権化かもしれません。
そんな人生もあり得たのかと思うと怖ろしいものです。

ということでひとまず理想を描く許可を自分に出してみることにします。

谷 孝祐
2018.5.30 4:48