あえて語る音楽の理想 | 3年前のしこうの楽しみ

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機内で合唱を聴いたことからの展開です。
自分にとっての音楽の理想を考えたことがなかったので定義してみることにしました。
もちろんそれが全くなかったわけではありません。

ただ感覚的なもので言語化されていなかったのです。
語っていたとしても部分的なものでした。
具体的と言っても良いかもしれません。

つまり特定の演奏に対する評価のようなものでした。
そのため全容を理解しているわけではありません。
潜在的には明確なはずですが意識化されてこなかったわけです。

実際に音楽観自体が話題になることは珍しいように思います。
ということでこの取り組みは自己一致のプロセスとも考えられます。
ある意味において終着点なのかもしれません。

ハッキリさせることには無意識的な怖れがあったように推測されます。
なぜならそれが許容度を下げる可能性を含むからです。
ほぼ存在し得ない理想以外を受け付けない心理状態は非現実的でしょう。

だからこそ見ないことになってきたのだと感じます。
ひとまずそれでも時は来たということなのかもしれません。
さて本題です。

少なくともレゾナンスハーモニーがヒントなのは確かでしょう。
これ自体が言葉にしにくい状態ですがそこから入っていくことにします。
ちなみに頭の中で描かれている音は無色透明なものです。

意味づけのないとも表現できるかもしれません。
デフォルメしないことを意味します。
ありきたりなところでは楽譜に忠実というイメージです。

当然ながら全ての要素が重要になります。
そこに主従関係や上下差はありません。
どのパートも主役であり同時に脇役でもあり協働する雰囲気です。

合奏体ないし合唱体は有機的な連動性を持った機能体です。
なのでそれ自体が統一された一つの意識体のようなものです。
内部での分離や闘争やエネルギーの相殺がない状態です。

意識の向きは放射状にバランスして結果的に無へと至ります。
そしてあたかもそこに音がないかのように絶対的なハーモニーが出現します。
各要素は消えて無くなってしまったかのように幻想であるハーモニーを支えます。

それは神に捧げるかのような祈りの響きの発現につながるようでありながらその意味も存在しえないものです。
このように表現するとスピリチュアルな向きが強い気もしますが非常に現実的でもあります。
物理現象として波長や波形とその強度が揃えば自ずと倍音が無限かのような少なくとも可聴領域を遥かに超える域にまで発生することでしょう。

これは実際に奏でられている音以上の強さを持ちます。
これこそがレゾナンスハーモニーだと思います。
こうやって言い表してくるとある閃きがやってきました。

無音状態を超えるハーモニーがゴールだとキャッチしたのです。
相反するようですがそう感じられるくらいあるべきものがあるべき場所にあることで出現するものです。
ということでジョンケージの4分33秒(無音の曲)を超えるというコンセプトのように思います。

谷 孝祐
2018.5.29 5:40