歩く上で靴選びが重要なことについて触れました。
履くものによって感じ方が変わるのは当然のことでしょう。
特に合わないものは避けたいところです。
これは単に健康に良くないというだけではありません。
無意識的に感覚を閉じる方向に向かいやすいのです。
つまり足裏を感じない習慣になりやすいということです。
とはいえすでにその憂き目に合っている人も心配はいりません。
体は一度合ったものに出会えばそこから補正されていきます。
今よりも望ましい方向へ少しづつ近づけば良いわけです。
そんなわけで引き続き足裏への意識へ話題を戻しましょう。
まず最初の関門というべきでしょうか。
感じられるようになるか否かの分かれ道があります。
見方を変えれば未だここを超えていないから感じられないともとらえられます。
それは以前よりも踏んでいる床や地面の状況をキャッチできるようになってきて起こります。
もちろんそれが心地よいものであれば問題はなさそうです。
それをそのまま感じやすいものです。
しかしそうでない場所もあることが通常かもしれません。
場合によっては痛みをキャッチすることもあるでしょう。
意外と無意識に歩いているときは気づかなかったものです。
特に靴の劣化が早い人はこの可能性があります。
アンバランスに負荷がかかっているとそういうこともあるものです。
もし理想的な歩き方だとしても路面状況によってはそういうこともあるでしょう。
痛くなくても嫌な感じということもありそうです。
感じる度合いが少しでも上がるとこういうことも知覚しやすくなります。
これは多くの人にとって避けたいことかもしれません。
だからこそ感じないで済むようになってきたとも考えられます。
ただここで心地よさ以外をシャットアウトしようとすると元に戻ってしまいます。
なのでせっかく感じられたのであればそれを承認したいところです。
嫌な感覚だけどそれを知覚できたことを肯定するわけです。
事実これは取り組みがうまくいっている証拠でもあります。
触感は受け入れ難いけれどプロセスの進展を喜ぶ方に意識を持っていくわけです。
そしてそれを積極的に感じようとしてみましょう。
痛みがあるならより主体的に意識を合わせるのです。
すると次第に許容が広がっていきます。
いうならば感じるための筋トレのようなものでしょうか。
楽しめる範囲で継続的に意識していきたいものです。
谷 孝祐
2018.5.27 19:53